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その時歴史が動いた
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その時歴史が動いた
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解説 - その時歴史が動いた
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Recent 20 Comments



31. 乃坂 繭士 (2015-08-11 20:33:57)

先日、毎日新聞夕刊にて、
古代ローマと地中海の覇権を
争った、カルタゴと言う国の
名将「ハンニバル」が好き、
と、言う女性の記事が掲載されていました。

皆さん、ご存じかと思いますが、
ハンニバルは象を引き連れて、
冬のアルプスを越えて
ローマを攻めたのです!

しかしながら歴史の恐ろしさは、
ローマにも名将を誕生させたのです。
その男の名はスキピオ。

残念な事に古代のカルタゴが
どんな文明を持っていたのか、
判らないそうです。



32. 乃坂 繭士 (2015-12-13 17:27:55)

徳川時代、
後半で大御所にもなり、
権力を駆使した人物に
徳川家斉がいたんですよ。

で、この人物に対抗出来た
外様大名として
存在したのが島津重豪。

外様大名のよりにもよって
島津家と徳川家で、
舅と義理の息子だと
最近知りました(汗)
(家斉が義理の息子で
重豪が舅です。)

…重豪によって、
徳川幕府を間接的にでも
政治に声をだせる下地が
既にあったと、
判りました。



33. 乃坂 繭士 (2016-02-29 21:38:34)

中国、後漢の時代。
流浪の将軍、劉備玄徳は、
「三顧の礼」で諸葛亮孔明を
自分の家臣に向かえますが、
これ実は、異説があるのです。

別の資料によりますと、
軍議に参加していた諸葛亮が
劉備に「流民が多いので、
彼らを戸籍登録すれば、
兵として軍隊も創設出来る。」
みたいな事を発言したそうです。

…ひょっとしたら、こっちの方が
事実なのかもしれませんね…。



40. めたる慶昭 (2021-01-17 22:51:45)

麒麟が来るが佳境に入ってきました。
今日の回で、信長と光秀の乖離が決定的となり、しかもその後光秀が天皇に拝謁し、暗示を受ける事で本能寺への道が決まった様に思えます。
史実として光秀が天皇に拝謁したかは知りませんが、良い演出だと思いましたよ。
好評だった真田丸より麒麟が来るの方が見応え有るなあ。




41. HIGASHI (2021-01-31 08:09:24)

「楠公さん」を大河ドラマに!

このスレッドは確か100くらい書き込みがありましたが、半分消えたみたいなので、また地道に復活させていこうと思います。
さて復活第一弾は一番最初に書き込んだ楠木正成についての話題です。このタイトルは楠木正成ファンの私が勝手に叫んでいるわけではなく、大阪の河内長野市が具体的に行っている運動です。河内長野市は楠木正成ゆかりの地として地元観光産業の起爆剤としてこの運動をすすめており、同じく同市出身の吉村大阪府知事を中心人物に据えて進められています。
時期としては大阪万博がある2025年あたりがベストだと踏んでの動きだと思います。いまその署名を集めている最中で、私もぜひ署名したいと思っております。
ただ当然ながらこの運動には反対する市民団体もあり、彼らのこのような主張をしています。

原文のまま貼り付け
「この問題は教科書問題と深くかかわっており、日本会議ら右派の皇国史観の流布を止めることは、非常に重要な意味を持っています。育鵬社歴史教科書ではすでに楠正成は天皇の「忠臣」とはっきり書かれています。その他の教科書ではそこまでではなく、「悪党勢力」とはっきり書いている教科書もありますが、神話の「神武天皇」が教科書改訂のたびに教科書で大きく扱われるようになっていったのと同様に、楠正成も状況次第では今後大きくなっていくかもしれません。教科書運動もそうですが、怪しい動きが見つかったら、すぐに芽を摘むことが重要だと考えます。」

この文章を読んで、この時代の歴史をかじったことのある方ならお気づきでしょうが、悪党の意味を完全に誤解しています。現在では悪党というと、反社会的・反道徳的な活動をしているやつら、という意味合いで使われることの多い言葉ですね。でもこの時代はそのような意味では使っておりませんでした。
どちらかというとその当時の支配下勢力に対するレジスタントのような意味合いが強く、悪い支配をしている政府に対し、時代をよくするために立ち上がった正義のヒーローに対して使われた言葉なのです。悪党は誉め言葉なのです。

こんな歴史的な言葉の土台も正確に理解せずに反対を唱えられてもどうなんだろうね、というのが私の最初の印象でしたし、ため息しか出てこなかったですね。
楠木正成は確かに戦前はヒーローとして扱われ、特攻隊の悲劇を生みだす「七生報国」の権化でしょう。それは紛れもない歴史的事実。ただそれはその当時の思想が悪かっただけで、楠木正成自身には直接関係のないことです。それが証拠に楠木正成はこの時代以外でも日本史の中では絶大な人気があった人物なのです。室町・江戸・幕末を通して多くの武将が楠木正成のようになりたい、と行動しています。むしろここまで楠木正成を知らない・学ばない現在こそ日本史の中では異常な時代が続いていると私には思えるのです。

グローバル化も結構なことですが、そもそも自分たちが何者なのか、どういった歴史を歩んで来た人たちなのかを知っておかないと本当の意味のグローバル化はなされないのではないでしょうか?
だから楠木正成の生き方を学ぶ機会となる大河ドラマ化を私は強く望みます(笑)




42. めたる慶昭 (2021-02-07 22:50:52)

H IGASHIさん、サクソン、野球以外にも熱く語るものが有るんですね。
私も歴史は嫌いではないですが、それ程詳しいわけでもなく、楠木正成は名前くらいしか知りません。
時代的にも恐らく謎の部分も多くて、それだけに今回の麒麟が来るのように前半生をかなり好き勝手に脚色するのも可能でしょう。
余り語られない時代と人物だからこそ、観てみたいなと思いますよ。
その前に渋沢栄一は通り越して、徳川家康をあの松潤がどう演じるのか今から興味深々ですがね。




43. めたる慶昭 (2021-02-12 19:23:39)

麒麟が来る最終回を録画で観ました。
本能寺の変というわかりきったエピソードをどう描くのか。
細川氏が行動を共にしてくれなかったのは、娘まで嫁がせたのに頼りにならなかったなあとガッカリでしたでしょうね。
でも家臣達は敵は本能寺にありと宣言した後、嫌なら自分の首を刎ねてくれと言っても全員がついて行く覚悟を決めていた。
ここら辺の場面は感動しました!
たまとの最後の会話も父親の優しさが出ていましたね。
織田信長の最期の書き方は凡庸でしたが、光秀が主人公なのだからあれで良しと思います。
最後に光秀がまだ生きているという噂が有りますなんてオチ?も麒麟が来るのはまだこれからだという
ニュアンスが込められているのかなと好意的に受け止めましたよ。
満足満足。




44. HIGASHI (2021-02-23 06:29:57)

>めたる慶昭さん
ご無沙汰しております。僕の趣味はHM・高校野球・歴史・旅行あたりでして、歴史は小学生の頃からだから一番長い趣味なんですよね(笑)

<2つの誠>
さて、復活第二弾は吉田松陰と土方歳三についてです。吉田松陰は楠木正成ファンとして有名な人ですので、この方が二番手に持ってこいだと思い、思い出しながら書き進めます。
数年前、東京の高幡不動尊に土方歳三像を見学に行きました。さすがに鬼の副長と謳われた人物だけに今にも斬りかかってきそうな形相はなかなかの迫力でした。お土産に何か買って帰ろうといろいろとお土産店を物色していた際にこんな彼の辞世の句をお土産のパッケージでみつけました。
「たとい身は蝦夷の島根に朽ちぬとも 魂は東の君をまもらん」
意味は、たとえわが身が北海道で死に絶えることとなったとしても、魂はいつまでも江戸の将軍や日野の人々を守り続けるぞ、という感じでしょうか。

はて、どこかで聞いたような?
と思い、持っている本をいろいろ探してみると萩で買った吉田松陰のこの句にぶち当たったのです。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
意味は、わが身がたとえ東京の刑場の露と消えたとしても、私のこの国を思う気持ちはこの大地に留め置いて欲しい、という感じでしょうか。

当時彼らは長州藩と新選組でまさに敵対する関係にあったわけですが、主君としている対象(天皇と将軍)が違うだけで、実は全く同じタイプの人だったということでしょう。そんな彼らであったからこそ今でもそれぞれの地元の人々に敬愛され続けているのではないでしょうか。
吉田松陰は山口ではいまだに吉田松陰先生と呼ばれ、小学校によっては銅像もあるそうだし、土方歳三はその生き様もさることながら、京で女にモテモテだった、という逸話も頷けるほどのイケメンな写真が残っているため、今や日野は言うに及ばず全国の幕末歴女ファンを虜にしているのであります(笑)
こんな二人の貫いた誠も素晴らしい生き方だなぁ、と私は感嘆とする次第なのです。

追記
実は吉田松陰にはもう一つ有名な句があります。
「かくすればかくなることと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」
意味は、こんなことをしたってこうゆうふうな結果になるのはわかっているけど、今自分がやらなければ誰がやるのだ!っということになります。
この句をテレビで薄ら笑いを浮かべながら言った政治家がいます。それは小泉純一郎。
その場面とは誰も勝てないと思われていた橋本龍太郎との自民党総裁選になぜ初めて出馬するのか、とテレビや新聞の記者たちに問われた場面でした。
確かに彼はその時は大敗を喫した。ただその誠を貫く政治姿勢は大衆の心に突き刺さった。そして同じく橋本龍太郎と争った自身3回目の総裁選では不利だと言われながらも、大旋風を起こし見事に勝って見せました。これも誠のDNAのなせる業だったのでしょうか・・・・。




45. めたる慶昭 (2021-02-23 22:43:59)

おおっHIGASHIさん、メタルより長い歴史好きってわたしの相撲(そんなに熱心ではないけど)と一緒ですね。
土方歳三や吉田松陰の言葉で思い出したのが、死ぬ時も前のめりで死にたいという様な意味の言葉を坂本龍馬が言っていた様な気がします。
これは、巨人の星で星飛雄馬が言っていた言葉ですが、坂本龍馬の様にって注釈が有った気がします。
因みに私は歴史も嫌いではないですが、それより時代小説に嵌ってますね。
読書関連のスレにも書きましたが、藤沢周平、池波正太郎、宇江佐真理、今井恵美子、金子成人等が好きな作家です。
エンタテイメントとしての江戸情緒あふれる市井ものに惹かれます。




46. HIGASHI (2021-03-20 06:49:40)

≪バサラで傾(かぶ)いて行こう!≫

先日、PTA会長から連絡が入り、卒業生代表の謝辞をお願いしたい、とのことだったので二つ返事でお受けした。恐らくPTA会長も多くの人にお声掛けをしたが、断られた末にこちらにお願いに来られたのではないかと思う。そんなPTA会長のご苦労は私が一撃で撃退してしんぜよう!てな訳でお受けした。
最近よく見ているYoutubeの中にこういった主旨の歴史学者の意見がある。

「南北朝時代のバサラ大名とか室町時代の傾奇者って今の時代で言えばロッカーですよ、メタラーですよ。自分の生きている時代の既成の固定概念にとらわれず、自分たちの好きな派手な衣装や化粧を施し、世間をアッ、と言わせる。人々がバカにしていたものを好んで趣向し、愚直に信じて推し進めていき、新しい文化や伝統を作る奴らです。それは南北朝時代ならバサラ大名、室町時代なら傾奇者、今の時代ならロッカー・メタラーじゃないでしょうかね」

私もその意見に大賛成だ!私もメタラーの端くれとして、今度の卒業式の謝辞では大いに傾いていこうと思う。定型の決まり切った文言は全てカット!文字を見ながら読み上げることもしない!大体の文章は頭に入れて、あとはその場の雰囲気に合わせて場を盛り上げる話にしようと思う。聞いている人に届かない言葉の羅列など無意味だ。菅首相に対して下を向いて官僚の作った文章を読んでるのは国民に対して説得力がない、と批判するなら私はそうしない。ライブ感を持って、聞いている人が高揚してくるような話をしようと思う。頼んだPTA会長がこの人に頼んでよかった、卒業式に参加した面々が、謝辞が面白かった、といわれるように頑張ります!

と、ここまでは卒業式の事前に書き込んでいましたが、昨日卒業式本番を迎えました。今回はコロナ禍でもあり児童たちの後ろに保護者は陣取りましたが、謝辞の時は壇上にも上がらず、座った目の前にマイクが置かれ、児童たちはこちらを振り向かず、後ろ頭に向かってしゃべる形だったので、あまり緊張もせず、マイペースでしゃべれました。肝心の謝辞も美辞麗句でしょうが、概ね好評でした♪

教頭先生に
「何も見ないで全部覚えたんですか!?先生方、本当にびっくりしてましたよ。会話調でしゃべられるのも、生の言葉が耳に飛び込んできて、心に響きますね!今度是非、コツを教えてくださいね。」

コツ?教頭先生、ヘビメタを聴いてください(笑)




47. めたる慶昭 (2021-03-20 15:37:35)

HIGASHIさんお疲れ様でした。
私ゃそんな大役引き受けた機会はないですが、原稿無しに話すのは結構大変なんだと特に大人達は分かってもらえたと思います。(子供達はどうか分かりませんが)




48. めたる慶昭 (2021-04-14 22:44:33)

ゴルフ⛳️の松山プロがマスターズで優勝した事🏅は、正に歴史が動いたというより歴史の扉をこじ開けたという出来事ですよね。
おめでとう🎉ございます。




49. めたる慶昭 (2021-05-01 22:31:20)

先日の補選で北海道、広島、長野(だっけ?)の3ケ所で自民党全敗(1ヶ所は不戦敗)だったのは、自民党にしてみりゃかなりショッキングだったでしょうな。
解散しなくても秋には任期切れになり、衆議院選挙は嫌でもやらなくちゃならないんだから、態勢をどう立て直すのか、奇跡の立憲民主党の政権奪取が起きるのか目が離せませんね。




50. HIGASHI (2021-07-11 07:17:21)

「我に七難八苦を与え給え」

復活第3弾は山中鹿之助についてです。
昨今は新型コロナウィルスの報道が毎日されていて本当に気が滅入りますよね。やれ変異ウィルスのイギリス型、インド型が加速度的に全国に蔓延だの、やれ緊急事態宣言だの、全く状況が好転していない印象の報道ばかりが巷に溢れている。そんな全く光明が見いだせないこんな時代、思い出したいのがこの山中鹿之助のこの言葉です。
想像できると思いますが、これは七転び八起きをもじった文句です。七回転んでも八回起き上がるという発想。これをさらに過激に七つの苦難とさらに八つの苦労を与えてくれ、というドⅯな発想は一体何が言いたかったのだろうか?

山中鹿之助は戦国時代、山陰の雄として知られる尼子氏の家臣として活躍した人物です。ただ彼が仕えた頃の尼子氏は斜陽の頃であり、日の出の勢いの毛利氏に押されまくっていた。名城と謳われた月山富田城も落城し主家も没落した。そんな頃、彼は毎夜月に手を合わせてこの文句を心の中で唱えていたという。たとえどんな苦難が自分に降りかかろうとも必ず状況を好転させる!という彼の強い意志の表れがこの文句なのだ。
その言葉通り、毛利氏に一度は捕縛されながらも、知恵を働かせて脱出し、尼子氏の遺児勝久を還俗させて、月山富田城奪還を目指します。織田信長・羽柴秀吉の協力を得て、一時は上月城を獲得し、かなり勢力を持ち直すが、時の運が味方せず、不運にも織田信長に見殺しにされる形となり、上月城は落城し、尼子勝久は自刃。またしても鹿之助は毛利方に捕縛されます。彼のような天下に名前が轟いている猛将が自刃しないのはおかしい、と睨んだ毛利方の吉川元春は移送の途中に高梁川のほとりで彼を惨殺して、彼は生涯を閉じることとなります。

なんだ失敗の人生ではないか、と思う方もいらっしゃると思う。彼ほどの武将なら尼子氏が没落した後にいくらでも仕官先はあっただろうから、とっとと鞍替えして新しい主君の元で出直せば良かったんじゃないの?っていうのが現代人の発想だと思う。実際そういう武将もあまた存在します。城づくりの名人、藤堂高虎なんて正にその典型だろう。

ですが、戦前の頃までなら圧倒的に山中鹿之助の方が人気があった。どんなに苦労すると分かっていても、主君のために希望を捨てず、決して裏切ることなく最期まで努力を続けるその姿勢に日本人はしびれたのである。たとえ七難八苦が待ち受けていても屈せず、あらがっていく精神力の強さ、そして義の精神にこそ多くの日本人は憧憬を抱くのであった。
それに鹿之助自体は不幸な人生だったが、その息子は大阪で財を成し、今も続く鴻池グループの礎になったので、2代にわたる成功物語だと思えば好印象になると思う。

そんな彼の苦労に比べれば昨今の新型コロナウィルスの苦労など簡単に乗り越えられる現象だ。確かに一日当たり2千人の新規感染者は出ているが、ワクチンは1日当たり約100万人に接種している。感染するよりも約500倍の速さでワクチンは打たれているのであり、それがこれからも続いていく。挙句に2回接種すれば90%以上感染を防ぎ、重症化を抑えるという。自分に振り返ってみてもコロナに感染する確率とワクチンを接種する確率はどう考えてもワクチン接種の方が自分には早くやってくるのだ。僕の場合は7月末にワクチン接種の予約も完了している。そう思えば今まで通りにキチンとコロナ対策を続けていれば、恐れることでもないと思う。もう出口は見えている。山中鹿之助の苦労に比べれば、足元にも及ばないほどのことだとわかる。

とは言え、油断は禁物だ。彼の名文句を唱えながら、日々を慎重に、でも明るく過ごしていこうと思う。我にも七難八苦を与えた給え・・・・・・。



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