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その時歴史が動いた
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その時歴史が動いた
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解説 - その時歴史が動いた
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コメント


Recent 20 Comments



26. 名無し (2011-01-20 18:05:54)

↑実在の龍馬はそうだったらしいね

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1335128793



27. テカプリオ (2011-02-25 12:17:44)

 ちびっ子将軍 7代 徳川家継

江戸時代色んな将軍がいたけれど、彼は4歳で将軍になり8歳で亡くなってしまった最年少の将軍である 家継(幼名鍋松)は将軍家宣の4男で兄弟には、家千代や大五郎、虎吉などがいたけれどみんな早世 家継の8歳が一番長生きであった もちろん家継には子供はいないので、彼の早死は紀伊の吉宗にバトンが回ってきた一因に
家継が将軍になった時には家宣は既に死んでいたため、側用人の間部詮房は父のような存在であり、詮房が所用から帰ってきたときには、門まで迎えに行って抱きついたとか 彼はなかなか利発な子であったらしく、侍講の新井白石は才能を見出していたらしい
もし彼が長生きしていたなら、享保の改革は、「正徳の改革」と教科書に載っていたかも そして暴れん坊将軍の主人公は家継!?などと妄想が膨らんでしまう(笑)




28. 乃坂繭士 (2013-05-29 15:21:43)

最近、イギリスの歴史の本を
読みました。

悪名高い「ジョン王」によって
「マグナ・カルタ」(大憲章)が、
行わられた(?)そうです。

これは、ざっくり自分流に
説明させて戴くと、
「王様といえども、
議会の承認なしでは
勝手に国民から税金を
徴収出来ない。」
みたいな決まりなんです。

しかしながら、ここに
歴史の皮肉が隠されていて、
ジョン王の孫に当たる、
エドワード一世の時代に
ウェールズの征服や
スコットランドとの戦争等が
勃発しています。

つまり議会は対外戦争をする事で、
お金が入るから、承認しているのです!

また、エドワード一世の孫、
エドワード三世は、
フランス相手に
百年戦争を始めてしまうのです!

…「マグナ・カルタ」によって、
イギリスに王室が残るきっかけには
なりましたが、
議会政治が全て良いものか?
は、別の話なのかもしれません。



29. 乃坂 繭士 (2015-02-24 21:42:35)

英仏100年戦争、後半。
イングランドのヘンリー五世が
アジャンクールの戦いで
フランスに勝利した事を
知っている人は少ないだろう。

何故なら、あの「ジャンヌダルク」の
登場を後のフランス皇帝、「ナポレオン」が
彼女の活躍を大々的に広めたからだ!



30. 乃坂 繭士 (2015-03-27 07:54:42)

「本能寺の変」について、
色々な「黒幕説」が
多く挙げられていますが、

その答えのヒントは
織田信長の有名な戦い、
「桶狭間の戦い」に
隠されていると
私は思います。

それは今川義元に
砦を攻撃されたさいに、
信長は全ての砦の
救援を行わなかった!

…家臣の見殺しを続けた男に、
天下は微笑まないのでは、
ないでしょうか…。



31. 乃坂 繭士 (2015-08-11 20:33:57)

先日、毎日新聞夕刊にて、
古代ローマと地中海の覇権を
争った、カルタゴと言う国の
名将「ハンニバル」が好き、
と、言う女性の記事が掲載されていました。

皆さん、ご存じかと思いますが、
ハンニバルは象を引き連れて、
冬のアルプスを越えて
ローマを攻めたのです!

しかしながら歴史の恐ろしさは、
ローマにも名将を誕生させたのです。
その男の名はスキピオ。

残念な事に古代のカルタゴが
どんな文明を持っていたのか、
判らないそうです。



32. 乃坂 繭士 (2015-12-13 17:27:55)

徳川時代、
後半で大御所にもなり、
権力を駆使した人物に
徳川家斉がいたんですよ。

で、この人物に対抗出来た
外様大名として
存在したのが島津重豪。

外様大名のよりにもよって
島津家と徳川家で、
舅と義理の息子だと
最近知りました(汗)
(家斉が義理の息子で
重豪が舅です。)

…重豪によって、
徳川幕府を間接的にでも
政治に声をだせる下地が
既にあったと、
判りました。



33. 乃坂 繭士 (2016-02-29 21:38:34)

中国、後漢の時代。
流浪の将軍、劉備玄徳は、
「三顧の礼」で諸葛亮孔明を
自分の家臣に向かえますが、
これ実は、異説があるのです。

別の資料によりますと、
軍議に参加していた諸葛亮が
劉備に「流民が多いので、
彼らを戸籍登録すれば、
兵として軍隊も創設出来る。」
みたいな事を発言したそうです。

…ひょっとしたら、こっちの方が
事実なのかもしれませんね…。



40. めたる慶昭 (2021-01-17 22:51:45)

麒麟が来るが佳境に入ってきました。
今日の回で、信長と光秀の乖離が決定的となり、しかもその後光秀が天皇に拝謁し、暗示を受ける事で本能寺への道が決まった様に思えます。
史実として光秀が天皇に拝謁したかは知りませんが、良い演出だと思いましたよ。
好評だった真田丸より麒麟が来るの方が見応え有るなあ。




41. HIGASHI (2021-01-31 08:09:24)

「楠公さん」を大河ドラマに!

このスレッドは確か100くらい書き込みがありましたが、半分消えたみたいなので、また地道に復活させていこうと思います。
さて復活第一弾は一番最初に書き込んだ楠木正成についての話題です。このタイトルは楠木正成ファンの私が勝手に叫んでいるわけではなく、大阪の河内長野市が具体的に行っている運動です。河内長野市は楠木正成ゆかりの地として地元観光産業の起爆剤としてこの運動をすすめており、同じく同市出身の吉村大阪府知事を中心人物に据えて進められています。
時期としては大阪万博がある2025年あたりがベストだと踏んでの動きだと思います。いまその署名を集めている最中で、私もぜひ署名したいと思っております。
ただ当然ながらこの運動には反対する市民団体もあり、彼らのこのような主張をしています。

原文のまま貼り付け
「この問題は教科書問題と深くかかわっており、日本会議ら右派の皇国史観の流布を止めることは、非常に重要な意味を持っています。育鵬社歴史教科書ではすでに楠正成は天皇の「忠臣」とはっきり書かれています。その他の教科書ではそこまでではなく、「悪党勢力」とはっきり書いている教科書もありますが、神話の「神武天皇」が教科書改訂のたびに教科書で大きく扱われるようになっていったのと同様に、楠正成も状況次第では今後大きくなっていくかもしれません。教科書運動もそうですが、怪しい動きが見つかったら、すぐに芽を摘むことが重要だと考えます。」

この文章を読んで、この時代の歴史をかじったことのある方ならお気づきでしょうが、悪党の意味を完全に誤解しています。現在では悪党というと、反社会的・反道徳的な活動をしているやつら、という意味合いで使われることの多い言葉ですね。でもこの時代はそのような意味では使っておりませんでした。
どちらかというとその当時の支配下勢力に対するレジスタントのような意味合いが強く、悪い支配をしている政府に対し、時代をよくするために立ち上がった正義のヒーローに対して使われた言葉なのです。悪党は誉め言葉なのです。

こんな歴史的な言葉の土台も正確に理解せずに反対を唱えられてもどうなんだろうね、というのが私の最初の印象でしたし、ため息しか出てこなかったですね。
楠木正成は確かに戦前はヒーローとして扱われ、特攻隊の悲劇を生みだす「七生報国」の権化でしょう。それは紛れもない歴史的事実。ただそれはその当時の思想が悪かっただけで、楠木正成自身には直接関係のないことです。それが証拠に楠木正成はこの時代以外でも日本史の中では絶大な人気があった人物なのです。室町・江戸・幕末を通して多くの武将が楠木正成のようになりたい、と行動しています。むしろここまで楠木正成を知らない・学ばない現在こそ日本史の中では異常な時代が続いていると私には思えるのです。

グローバル化も結構なことですが、そもそも自分たちが何者なのか、どういった歴史を歩んで来た人たちなのかを知っておかないと本当の意味のグローバル化はなされないのではないでしょうか?
だから楠木正成の生き方を学ぶ機会となる大河ドラマ化を私は強く望みます(笑)




42. めたる慶昭 (2021-02-07 22:50:52)

H IGASHIさん、サクソン、野球以外にも熱く語るものが有るんですね。
私も歴史は嫌いではないですが、それ程詳しいわけでもなく、楠木正成は名前くらいしか知りません。
時代的にも恐らく謎の部分も多くて、それだけに今回の麒麟が来るのように前半生をかなり好き勝手に脚色するのも可能でしょう。
余り語られない時代と人物だからこそ、観てみたいなと思いますよ。
その前に渋沢栄一は通り越して、徳川家康をあの松潤がどう演じるのか今から興味深々ですがね。




43. めたる慶昭 (2021-02-12 19:23:39)

麒麟が来る最終回を録画で観ました。
本能寺の変というわかりきったエピソードをどう描くのか。
細川氏が行動を共にしてくれなかったのは、娘まで嫁がせたのに頼りにならなかったなあとガッカリでしたでしょうね。
でも家臣達は敵は本能寺にありと宣言した後、嫌なら自分の首を刎ねてくれと言っても全員がついて行く覚悟を決めていた。
ここら辺の場面は感動しました!
たまとの最後の会話も父親の優しさが出ていましたね。
織田信長の最期の書き方は凡庸でしたが、光秀が主人公なのだからあれで良しと思います。
最後に光秀がまだ生きているという噂が有りますなんてオチ?も麒麟が来るのはまだこれからだという
ニュアンスが込められているのかなと好意的に受け止めましたよ。
満足満足。




44. HIGASHI (2021-02-23 06:29:57)

>めたる慶昭さん
ご無沙汰しております。僕の趣味はHM・高校野球・歴史・旅行あたりでして、歴史は小学生の頃からだから一番長い趣味なんですよね(笑)

<2つの誠>
さて、復活第二弾は吉田松陰と土方歳三についてです。吉田松陰は楠木正成ファンとして有名な人ですので、この方が二番手に持ってこいだと思い、思い出しながら書き進めます。
数年前、東京の高幡不動尊に土方歳三像を見学に行きました。さすがに鬼の副長と謳われた人物だけに今にも斬りかかってきそうな形相はなかなかの迫力でした。お土産に何か買って帰ろうといろいろとお土産店を物色していた際にこんな彼の辞世の句をお土産のパッケージでみつけました。
「たとい身は蝦夷の島根に朽ちぬとも 魂は東の君をまもらん」
意味は、たとえわが身が北海道で死に絶えることとなったとしても、魂はいつまでも江戸の将軍や日野の人々を守り続けるぞ、という感じでしょうか。

はて、どこかで聞いたような?
と思い、持っている本をいろいろ探してみると萩で買った吉田松陰のこの句にぶち当たったのです。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
意味は、わが身がたとえ東京の刑場の露と消えたとしても、私のこの国を思う気持ちはこの大地に留め置いて欲しい、という感じでしょうか。

当時彼らは長州藩と新選組でまさに敵対する関係にあったわけですが、主君としている対象(天皇と将軍)が違うだけで、実は全く同じタイプの人だったということでしょう。そんな彼らであったからこそ今でもそれぞれの地元の人々に敬愛され続けているのではないでしょうか。
吉田松陰は山口ではいまだに吉田松陰先生と呼ばれ、小学校によっては銅像もあるそうだし、土方歳三はその生き様もさることながら、京で女にモテモテだった、という逸話も頷けるほどのイケメンな写真が残っているため、今や日野は言うに及ばず全国の幕末歴女ファンを虜にしているのであります(笑)
こんな二人の貫いた誠も素晴らしい生き方だなぁ、と私は感嘆とする次第なのです。

追記
実は吉田松陰にはもう一つ有名な句があります。
「かくすればかくなることと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」
意味は、こんなことをしたってこうゆうふうな結果になるのはわかっているけど、今自分がやらなければ誰がやるのだ!っということになります。
この句をテレビで薄ら笑いを浮かべながら言った政治家がいます。それは小泉純一郎。
その場面とは誰も勝てないと思われていた橋本龍太郎との自民党総裁選になぜ初めて出馬するのか、とテレビや新聞の記者たちに問われた場面でした。
確かに彼はその時は大敗を喫した。ただその誠を貫く政治姿勢は大衆の心に突き刺さった。そして同じく橋本龍太郎と争った自身3回目の総裁選では不利だと言われながらも、大旋風を起こし見事に勝って見せました。これも誠のDNAのなせる業だったのでしょうか・・・・。




45. めたる慶昭 (2021-02-23 22:43:59)

おおっHIGASHIさん、メタルより長い歴史好きってわたしの相撲(そんなに熱心ではないけど)と一緒ですね。
土方歳三や吉田松陰の言葉で思い出したのが、死ぬ時も前のめりで死にたいという様な意味の言葉を坂本龍馬が言っていた様な気がします。
これは、巨人の星で星飛雄馬が言っていた言葉ですが、坂本龍馬の様にって注釈が有った気がします。
因みに私は歴史も嫌いではないですが、それより時代小説に嵌ってますね。
読書関連のスレにも書きましたが、藤沢周平、池波正太郎、宇江佐真理、今井恵美子、金子成人等が好きな作家です。
エンタテイメントとしての江戸情緒あふれる市井ものに惹かれます。



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