楽曲の形式に関していえば、ついにストレートな2バス連打の疾走曲は完全消失、ここにきて初期のスタイルとは完全に縁を切ったようです。さらに前作同様、楽曲に対してのアプローチがHM的なものから確実に離れてきています。例えば、ラストの超大曲And There Was Silence はまさにその典型。 例えば同じ大曲で、タイム的にもほぼ同じくらいのIron Maiden のRime of Ancient Marinerなどと比べるとその違いは歴然とします。Iron Maidenの曲が長いインストパートやSE的パートを挟みつつも、あくまでリフの繰り返しが中心で、いわば通常のHMの曲構造をそのまま拡張したものだったのに対し、And There Was Silenceの構成法はすでにHMという枠の外に出ていると思います。私の耳にはこれはマイク・オールドフィールドの長尺曲に通じるミニマル&シンフォニックな基本構造を軸として、そこにクラシックの合唱曲風のメロディ展開を導入したように聞こえます。 実際、HM的様式感の耳で聞くと、これは展開の複雑さに反して、非常に単調に聞こえると思います。合唱隊が始終歌い続け、インストパートと歌パートのバランスが極端に偏っているうえ、音圧の強弱とテンポの緩急の差が少ない(いわゆる「静」と「動」の対比が弱い)からです。HM的な、「テンポや音の密度、もしくは音色の変化によるドラマ性の表現」に慣れている人には、一体これのどこがドラマティックなのか、始終クライマックスの連続で起伏に乏しいだけじゃないか、と感じられる方も多いのではないでしょうか? 実際のところ、この曲の「ドラマ」は主に、歌詞と伴って、コーラス部が歌いあげる「メロディ自体の起伏と展開」によって表現されているのですが、これはHMではあまり馴染みのない手法です(そもそもリフ主体で歌メロの間に間奏が入るような音楽では、展開をつけられほどメロディが連続しないのでこういう手法を使うのが難しい)。曲の中でのメロディのヴァリエーション(=物語の起承転結)が異常に多いのも、こう考えるとわかりやすいと思います(もちろんですが、これは私の解釈ですよ)。とりあえず、長年に渡ってHMに慣れ親しんだリスナーにとって、これはかなり「挑戦的」なアプローチであることは確かかと。
他の曲にしても、程度の差こそあれ、どれもいわゆる典型的なHMの型にはまっていません。パーカッションの音色がトライバルなイメージをかもしだすBattle Field(私の耳にはなぜかインディアンの勇士のテーマに聞こえます。)、ファンキーな感触すらある、Sadly Sings Destiny、とくに狂おしい激情が炸裂するPunishment Devine(実は超名曲)での音使いは、デジタル・サイケというか、テクノ/トランス的なニュアンスすらうかがえます(もっとも、これはかのQueensrycheの名曲、Screaming in Digitalの彼ら流の解釈といってもよいでしょう。)。
結局現在の、いやImagination〰あたりからしてすでに、彼らの音楽性は(DT系とは違ったタイプの)「プログレ・メタル」になっており、いわゆるジャーマンメタルーメロスピ系の魅力である「疾走&泣きメロ」や「わかりやすさ」を求める向きには、かなりつらい所のある音楽に変化しています。しかし、最初に「Helloweenフォロワー」という触れ込みで日本に紹介されたのが災いしたのか(彼らが実際にHelloween的な音を出したことは一度もなかったのですが)、メディアなどでもそういう部分があまり伝わっておらず、それが最近の彼らの作品に対する誤解と混乱の元になっていると思います(海外のサイト等をみると最近の作品はProgressive Power Metalと表記されていることが多く、こちらの方がより誤解の恐れが少ないと思います。)。しかし、すでに実際の音楽性からかけ離れているジャンル分けを無批判に踏襲して、かえって余計な誤解を与えるというのは、どうしたことでしょう。今作はもちろん、とりわけNightfall〰は、「ドラマティックなプログレ・メタル」と割り切って聴けば、すばらしい作品なのですが。
このバンドについてはいまだにジャーマンメタル云々と言われてますが、私から見ればこれは完璧な正統派メタル。少なくともこのアルバムに関してはそうです。「Defender of the Faith」の時のJudas Priestがスラッシュメタルを通過し、ドイツという土壌の中で進化するとまさしくこういう音になる感じです。爽快さを通り越してほとんど激烈なまでの疾走感といい、スラッシュに近いニュアンスの刻みといい、全編を支配するダークで神秘的な「闇」を感じさせる雰囲気といい、スタイル的な類似点こそ認められるもの音楽から受ける基本的な印象がHelloween系とはまるで異なります。よってHelloweenやその分派の産業ロック的に過剰にライトアップされた明るさやあざといまでにキャッチーなメロディがどうも苦手、という硬派なスピリットの方も気勢をそがれることはないでしょう(今となっては以外に聞こえますが、この頃の彼らがフェスなどでよくSepalturaやKreaterと共演していたという事実を考えると、日本はともかく本国では当時どういう界隈のバンドと見られていたかが、それとなくわかります。)。
アルバム単体でみればそれなりによい作品かもしれませんが、いかんせん次作以降の作品が揃いも揃って圧倒的な完成度なので、それらと比べるとどうしても粗さが目立ってしまいます。別のバンドの作品と割り切って聴けば、これはこれで楽しめるかも。裏を返せば、本作から次作の間で起きた超越的なメタモルフォーゼの凄まじさをありありと実感させてくれる作品ともいえるでしょう。まずはSomewhere Far BeyondからLive!まで一通り聴き終えてから、最後になって「あのバンドにもこんな時代があったんですよ」という感覚で「オマケ」として買う作品だと思っています。
カテドラル……、 とにかく「妖しい」、「マニアック」、「地下世界」、「クスリ派」と極めてディープな方々とのイメージがありますが、このアルバムは非常に聴きやすいです。彼ら特有の雰囲気を保ちつつも、スロー&ヘヴィな正統派といってもよいHMを繰り広げられています。トリップ感も含まれていますが、素直に格好いい、繊細な哀しみにあふれて感動的、何よりこれこそヘヴィメタル!!!と叫べるようなサウンドです。とくにFountain of Innocenceは醜くき現在から輝いていた過去への、退行的夢想感がなんとも儚く美しい、カテドラル屈指の大名曲。私がこれまで耳にしてきたHM曲の中でも、トップクラスに数えられる素晴らしい曲です。中間部の甘美な叙情から、苦渋に満ちた叫びへの実に滑らかな移行、「醜」から「美」そして再び「醜」への絶妙な流れのなんと素晴らしいことよ!!。
こういう音像は世間的にどこへカテゴライズされるのかよくわかりませんが、私にはどう聴いてもこれは伝統的HM、それの21世紀ヴァージョンのように聴こえます。たとえギターソロがなかろうが、リズムがヒップホップの影響を受けてようが、実質的にIn Flames やChildren of BodomよりはるかにHMの正道に近い所にいるバンドです(だからといって彼らが「邪道」というわけではありませんよ、もちろん)。
一応、彼らの音楽性を成分別に分解すると、だいたい 「モダンヘヴィネス直系のへヴィリフ」、 「怪しげで病的な部分を全て抜き去ったAlice in Chains,」 「「Empire」までの機械的な雰囲気だったQueensryche」、 「「Thrak」期のポップかつメタリックだったKing Crimson」、 「産業ハード・ポップ路線を取った80年代のYesやGenesiss」 などからできているといってよいでしょう。
と、肩を落としていたのも今は昔。聴き込むにつれどんどんレベルアップし、今ではFear of The Dark以降の最高傑作!!と素直に叫べるようなアルバムにまでなってしまいました。最初の印象からは想像もできぬほどの躍進ぶり。80年代の名作群がゴールドメダルの最優秀主演賞だとすると、本作はさながらシルバーメダルの最優秀助演賞という感じ。非常に渋くカッコのよいポジションの作品です。しかしブルース&エイドリアン復帰第一弾としてあれだけ話題作りに励んでおきながら、これほど通好みのアルバムを持ってくるとは……(しかもこれが商業的にも大成功)。 超名曲こそ見当たりませんが、楽曲はどれも精鋭ぞろい、名曲・佳曲がズラリと揃った鉄壁の布陣です。捨て曲はおろか、平均的な曲すらないというのは、あの究極傑作Somewhere in Time以来ではないのでしょうか。
全10曲トータル67分、うち7曲が6分以上という過去最大の大作軍団を前にして思わずひるんでしまう人も多いかもしれません。最初は長いうえに曲調が覚えづらく展開も一本調子、途中で眠くなってしまうなどなかなか厳しいアルバムですが、気楽な気持ちで時間を置いて二度三度と聴き返ししてみましょう。最初つまらなくても落胆することはありません。とりあえず脇に放っておき、ひまな時に思い出したら聴けばよいのです。アルバムの世界になじむに連れ、最初あれほど地味に聞こえた楽曲たちが次第に輝きを放つようになると思います。 「聴きこむほどに新たな名曲が現れる」のがFear Of The Darkの魅力だったとすると、「聴きこむたびに曲が良くなっていく」のが本作独特の楽しさです。こういう聴き手の耳で楽曲を育てるような育成型の作品というのはなかなか貴重です。誰もが「インパクトで勝負!」と考えがちな復活作にこういう路線のアルバムを迷わず当ててくるあたり、じつに不敵で挑戦的な人たちですが、リスナーの耳をあくまで信頼する姿勢に好感を感じてしまいます。とくにおすすめの曲をあげれば、 ガレキの下からのぞく小さな靴を見つめるような、深い喪失感と哀感をたたえたBrave New World(単純な曲調ですが、情感表現の深さはこれまでにないほど。) ワルツのリズムにのせて、どこか懐かしいメロディと力強いコーラスの交錯が静かな感動を呼ぶBlood Brothers (ライヴ曲としては最高。バンドとオーディエンスの一体感は格別です) 重厚&ミドルテンポが、迫り来る危機を予感させるFallen Angel (まさに「エイドリアン先生が帰ってきた!!」というヘヴィでキャッチーな曲) 変則リズムに奇妙なリフ、雄大なスケールのオーケストラルKeyの組み合わせが不可思議な情景を織り成す異色の大曲The Nomad (後半のシンフォニックなKeyと哀愁あふれる静かなギターの掛け合いが絶品の名曲) 物語はいよいよ終局へ、というムードのなか、ハリス先生のベースが空間を縦横無尽に駆けめぐるOut Of Silent Planet (メロディアスで本作中唯一、派手な印象。最近では珍しいPiece of Mind〰Seventh Son期に通じる色彩感があり、切り返しの多い展開が魅力) ブルース復活を高らかに告げる感動的なVoメロディが炸裂する前半、静かに熱い楽器隊が何ともいえない余韻を残すインストメンタル中心の後半という、対照が映えるラスト曲Thin Line Between Love And Hate (本編終了後のスタッフロールのような雰囲気の後半の演出がこころにくいです。こういうアルバムでの曲順まで意識したような曲を書けるセンスはさすが。)。
1stから今日に至るまでのMeidenの音楽性の変遷を考える上で、非常に重要なアルバム。4thのPiece of Mindと並び、音楽的な転換点となった作品。議論のあるところかもしれませんが、現在の彼らの音楽性はこのアルバムから始まっているようです。歌詞のテーマも、それまでの映画や文学にインスパイアされたものから同時代的な社会意識や内面的な感情を歌い上げるものが増えてきました。
音像の変化とともに、楽曲のムードも一変しました。Piece of Mind〰Seventh Son of Seventh Son期のパノラマティックな色彩感覚とドライなテイストが消失し、Number of The Beast以前の暗く湿ったモノトーンの世界へ戻りました。ただし初期のような冷たい霧に覆われた灰色ではなく、日没後の闇の訪れを想わせる暗く寂しげなものです。 古代エジプトから暗黒の大洋を航海し、時間の回廊を抜けて未来都市をさまよった後、神話の国で透視能力者の運命を垣間見た男たちが、ついに夕闇深い故郷イングランドに帰ってきた、という感じで感慨深いものがあります。そのせいかこれまでになく叙情的な「憂い」の雰囲気が全体に漂っています。Meidenにしては珍しく情緒的というか、楽曲の世界観を描写するよりも、ストレートに感情を表現するような曲想が目立つのも特徴です(以前のMeidenのメロディは、一部の例外を除けば、情感よりも理知的or神秘的なニュアンスが強く、いい意味で「エモーショナルではない」ものが多かった)。
ちなみのこのアルバム独特の楽しさとして、「聴き込むほどに名曲が増えていく」というのがあります。私も最初に聴いた時に印象に残ったのは最初と最後の曲くらいで、あとは「うーん、まあまあかな?」という程度でした。が、その後聴き返す度に「!!!!」という曲が次々と現われ、今では厳しく見ても凡曲・駄曲は後半の⑧⑨⑪くらい、残りはすべて佳曲または名曲といって良い出来です。 序盤の流れを作るには最高のバランスの冒頭三曲やラストを飾る名曲中の名曲Fear of The Darkはもちろんのこと、わずか4分弱の中に信じられないドラマが展開される、マーレイ先生による感動の名曲Judas Be My Guide、悪夢的な妖しさと勇壮かつキャッチーなVoがハイレベルな融合を見せるFear of The Key(あまり人気がないのが悲しいのですが、本当にいい曲です)、 ツインギターが冴えわたるドラマティックなChildhood End(リフ・ソロともおそろしいほどのカッコよさ)などなど、隠れた名曲が盛りだくさんです。これほど多彩な楽曲を高水準にまとめ上げる力量には改めて驚かされます。エイドリアンがいなくても、Meidenは何ら揺らぐことはない、というハリス先生の高笑いが聞こえてくるようです。
上にも書いたように、演奏のテンションは文句なく最高、本当にシャレにならないくらいすごいです。灼熱の赤どころか、白く輝くまで熱せられた鋼鉄のようです。技術的な上手い下手はともかく、気合の入り方が他のアルバムとは全然違う気がします。とりわけアルバム後半の三曲、Transylvania, Charlotte Harlot, Iron Maidenでのテンションは異常に高く、悪魔に憑かれたかのような凶悪なプレイが繰り広げられています。 ちなみに私はCharlotte Harlotの「ズダダダダダッ!」という必殺のドラミングであっさり昇天させられました。……クライブ・バー、彼はスティックで人をあの世送りにできる唯一のドラマーです。彼にはもっと長くメイデンにいて欲しかった…。
次作Number of The Beastを聴いた後でこれを聴くと、全体の構成力と展開のスムーズさのあまりの差に唖然とさせられますが、同時に「ディアノ時代こそMaidenの絶頂期!!」、「Maidenは最初の二枚で終わった!!」と叫ぶ人たちの気持ちがなんとなくわかります。Voはもちろんのこと、曲の組み立て方からして3rd以降とは別モノといっていいほど異なるのもありますが、なによりスタイリッシュに様式化される以前の、オリジナルの熱さと輝きみたいなものがあるのです。楽曲の完成度や音楽としての洗練度とは別の次元でのパワーというか、ロックミュージックが原初にもっていたであろう、「アグレッションとアーティスティックな閃きが溶け合ったような強烈な熱さ」のようなものがあるのは事実です。人によっては、これは作曲面での未熟さをカバーして余りある、と感じる方も多いのではないのでしょうか。
以上、純粋な楽曲の完成度という点では、残念ながらMeidenの全作品中最低クラスの作品といってよいでしょう。同じ初期でも、1st(こちらは評判通りの名作でした)に比べて、曲のクオリティが大きく落ちます。水準以上と呼べるのはライヴでおなじみWrathchild、勢いのあるMurder in Rue Morgue、 緊張感あふれるタイトル曲Killers、疾走&メロディアスなPurgatoryの4曲のみ。 しかし、これらはどうもMeidenというより、Meidenの前身バンドの未発表曲のような気がするのが不思議です。確かにありますが。実際、グルーヴ感重視の曲やストレートなノリのR&Rなど本作で見られる曲調の多くはほぼ今作かぎりで消滅し、それらの要素は以後楽曲の中の一要素としてのみ生き残りました。これは1stが初期特有の荒さを残しつつも、3rd以降のMeidenにずっと近い作風でその後の彼らの音楽性の基本となったのと対照的です。
1stと2ndの楽曲は、レコーディングに際して新しく書かれた曲ではなく、バンドの結成当初からレコードデヴューまでの間に書かれ、数年に渡ってすでにライヴで演奏されていた曲を収録したそうです(例外的に、Murder in the Rue Morgueは2ndリリースに際して書かれた新曲だそうです)。 これは私の推測ですが、どうもハリス先生は1stの時には自信作というか、これからのIron Maidenの方向性に合ったベストと思われる曲を入れ、残りのクズ曲……、いえいえ、微妙に方向性のずれる曲をこちらに回したのではないのでしょうか? 実際、1980年の2月、すなわち1stの発売の二ヶ月前にリリースされたコンピレーションアルバムにWrathchildが提供されています。またPurgatoryに至っては76年ころに書かれた曲で、デビュー当時すでに、「昔の」曲ということでライヴのレパートリーから外されていたそうです。(このあたりの詳細はiron maiden commentaryという海外の有名なファンサイトに詳しく載っています。またここは、各曲の背景や元ネタとなった映画や文学についてくわしく振れられており、たいへん勉強になります。興味のある方はどうぞ行って見てください。)
まず最大の魅力として挙げられるのが録音の素晴らしさ、そしてそこから生れてくる全体の音像の綺麗さです。各楽器の音色、音量バランス、相互の音の配置など、どれをとっても理想的な完成度です。堅くも柔らかくもなく、適度に音のエッジが抑制された上品で耳なじみのよい音色、一人の音が他より出すぎることも引っ込むこともないフェアな音量バランス、各パートの音がクリアーに聴きとれる音立ちのよさにバンドとしての一体感あふれる瑞々しい演奏……、聴いているだけで惚れ惚れするような素晴らしい音像が展開されています。もちろん個人の好みもありますが、この音の良さ、美しさはHR/HMレコードとしては最高級の出来栄えといってよいでしょう。 またきわめて一体感の強い音の出方も印象的です。私は音響・レコーディング関係のことはまったくわからないので、あくまでいろいろなCDを聴いたかぎりでの印象ですが、一般に各パートの音のりん郭が明瞭になるような録音だと、どうしても各々のパートの音の間に空間(すき間)ができてしまい、音同士の間に分離感が生じて結果的に全体の一体感を損なってしまうことが多い(この傾向は次のFear of The Darkで顕著に現われる)のですが、そういった問題はこのアルバムではまったく生じていません。
次に注目すべきは、ライヴ感覚あふれる演奏のノリの良さです。全編ライヴ・レコーディング、しかもほとんど一発取りに近いかたちで録音されただけあって、スタジオライヴといってもよい生気に満ちた躍動感ある演奏が繰り広げられています。何というか一つ一つの音がすごく新鮮というか、まるで生きて呼吸しているかのようなヴァイタルな印象を受けるのが特徴です。この生命感はあの名作Somewhere in Timeの極限まで作りこまれた、美しくも荒涼としたマシーナリーな音の感触とはまさしく対極に位置するものと呼べるでしょう。Somewhereが細部に至るまで緻密に練り込まれた曲想を選び抜かれた音と演奏を積み重ねて表現し切ろうとする完全性志向の作品だとすると、こちらは楽曲の完成度よりライヴのもつ一回性の面白さというか、それまで紙の上や頭の中の譜面上にしか存在しなかった楽曲に生命が宿るその誕生の瞬間を捕えようとしている感じです。 比較的シンプルな曲で演奏に重点を置いたアルバム、という点では1stとも似ています。(音の響きも初期の曲を思わせるものが多いです)せいか、さすがにあれほどの鋭さと緊張感はありません。殺伐とした演奏よりも、とにかくプレイを楽しもうとしている所がうかがえます。どちらかというメタルよりも、ロックンロールの精神でやっている気がします。それまでがあんまり真面目すぎて疲れたから、ここらで少し遊んでみよう、という感じでしょうか?
彼らにしては珍しい、軽快で皮肉の効いた曲調。 明るくノリよく聴きやすいが、軽くはなく、 やっぱり妖しげな感じがするのがポイント。 Maidenがメジャーな曲をやると、なぜかみーんな妖しく 「悪魔のパーティソング」というか、「明るいゴシック」な 感じになってしまうのが謎。 Number of the BeastとかBring Your Daughterとか。 「泣き」を求める人には辛いかもしれませんが、これはこれでよい曲です。 こういう路線でもいい曲を書けるから、Maidenはすごいんです。
今作を一言でいえば、強烈なインパクトにこそ欠けるものの、どれも水準以上の良曲がそろった良質のアルバム、といったところでしょうか。自作の評価に厳しそうなハリス先生も今作の楽曲の出来栄えにはおおいに満足していたらしく、おすすめのアルバムの一枚として名を挙げていました。とくに印象的な曲をあげれば、 最近再び(20数年ぶり!)にシングルカットされ、当時を越えるヒット(!!)を記録した時を超えた名曲The Trooperをはじめ、 オープニングを飾る勇壮な打撃系雪中行軍マーチWhere Eagles Dare、 コンパクトながら重々しく崇高な威厳を感じさせるFlight of Icharus ノリが良く切り返し満載の曲展開がライヴで真価を発揮するDie with Your Boots On、 繊細なメロディをいくつも織り合わせた異色曲Still Life(メロディアス度ではMeiden屈指の一曲)、 予兆に満ちた気配が、異界のエナジーを放射する謎の終曲 To Tame a Land (平たくいうと、RPGのラスボス曲のような「邪神復活!!」的な雰囲気です。) など、どれも強烈にマニアックな曲想です。およそ彼ら以外にやりそうもない特殊なムード&曲調が満載で、いかにも「Maidenらしい」作風に仕上がってます。ハリス先生お気に入りの理由はこの辺りにあるのかもしれません。
余談ですが、このアルバムの曲はどれもライヴの方が断然よいです。楽曲のヴァイタリティーがアルバムとはまるっきり違います。レコードでは録音がやや硬くかすれ気味、各楽器の音の芯が捉えられていないうえ、各パートの音の配置が平面的すぎて音に奥行きがありません。おまけに、いかにもスタジオで切り張りして作ったようなぎこちなさがあります(ついでにブルースのVoも上ずり気味、はっきりいうと「ヘタ」に聞こえる所が結構あります)。この悪い録音では、楽曲本来のパワーの50%くらいしかとらえきれていないような気がします。逆にライヴ、とくに最近では、どの曲も凄いこと凄いこと……。「Early Days」ツアーでのDie with Boots Onなど、その場にいたら失神確実のものすごさです。
以上手早く「オススメです」といって終わりたい所ですが、実をいうと個人的にこのアルバムには長いことなじめませんでした。最初のうちは退屈で仕方なく、CDラックの奥の暗い所に何年も放り込まれていました。どうも刃が鈍ったというか、The Number of The Beast の終末的な緊張感が失くなって、妙にヤワな音になってしまった……、という感じでした。もしリアルタイムでこれを聴いていたら、「Meidenは死んだっっっ!!!」とかいって泣き叫んでたかもしれません。……数年後、ふと聞き返してみて、はじめて今作のよさに「目覚め」ました。
こういう個人的な事情のほかにも、上に述べたようにただでさえアクの強いこのバンドの中でも、かなり濃いめの作風であること、インパクトでは1stと3rdに大きく劣り、楽曲の魅力では6thや7thには及ばず、5thのAces Highや9thのFear of The Darkのような一撃必殺の大名曲があるわけでもない、ということを考えると、初心者にこれを勧めるのは少々ためらいを感じます。 どちらかというと、Meidenをすでに何枚か聴いて彼らの音楽に親しむようになった人が、次なるステップとして向うべきアルバム、という位置づけでしょうか。HM的フレーズを用いれば、ちょうど鋼鉄の守護者が守る城門をくぐり抜けた後に、中心にそびえる処女の神殿へ向かう巡礼者がたどる園路の踏み石のような趣きの作品といってよいでしょう。
曲調自体は前作よりも3rdに近いアグレッシヴなものですが、何か楽曲の雰囲気自体がThe Number of The Beastまでとは根本的に変わってきたような感じです。 3rdまでが深いグレーを基調に、全体が白と黒の濃淡がかもしだすモノクロームの雰囲気に覆われていたとすると、4th以降、とくにこのアルバムからSeventh Son〰までの作品には、ちょうど霧が晴れるとともに色彩が陽の光の中で一気に開花するような、鮮やかな開放感が漂っています。初期のいかにもブリティッシュという雰囲気の暗く湿った質感が消え、かわりに地中海あたりを思わせる、乾いて澄んだ空気が流れ込んできた感じです。理論的なことには疎いのでよくわかりませんが、こういう音の変化を和声感がより明確になったとか、ハーモニーがより豊かになったというのでしょうか?
一般的には始めの二曲に人気が集中しているようですが、終盤のプログレッシヴな二曲も素晴らしい完成度。とくにラストのRime of Ancient Marinerの恐るべき構成力と芸術的な曲想には度肝を抜かれました。これを書いていた時のハリス先生は、創造のデーモンに憑かれていたにちがいありません。究極の叙景力で一大スペクタクルが繰り広げられています。この曲だけはぜひとも歌詞を読んで理解し、詩が語る物語の内容と奇跡的なまでにシンクロした曲展開に心ゆくまで驚愕していただきたいものです。 とりわけ3分すぎあたりから始まる、「死の海へ漂着〰幽霊船出現〰死の女神と生死をかけた賭け」のシーンでのメロディは異常きわまるもの。深淵から流れ出る暗い波動というか、闇の彼方から聞こえてくる死霊の呼び声というか、はたまた破滅へ誘うセイレーンの魔の歌声とでもいえば少しは伝わるでしょうか。ようするに通常の人間的感性の次元から隔たった深い地点から発せられているような、まがまがしくも魅惑的な響きです。ある意味Morbid Angelなんかが表現しようとしていることに近いかも。もちろんこれ以後のMeidenのどの作品にも、こんなフレーズは二度出てきません。ハリス先生の身に一体が何が起こったのでしょうか
至高のクオリティーを誇る超傑作。この時期のMeidenのヴィジョンと創造力のすさまじさを、当時を知らない人間にもありありと思い知らせてくれるアルバム。純粋な曲のよさでは、おそらくこれがベストでは。 最初に聴いたのはThe Number of The Beastですが、私を完全にひざまずかせたのは次に聴いたこれでした。私をMaidenの崇拝者にしただけでなく、本格的にHMの世界へいざなったモノリス的作品です。
「ドラマティックでイメージ豊かな音楽を愛する人すべてに贈る感動の名作、あの世の門をくぐる前に何が何でも聴いておきなさい!!」と説教師のごとく叫びたいところですが、あまりの力作ぶりが祟ってか、真っ先にこれを聴くとかえって凄さが伝わりづらいかもしれません。 とりあえずThe Number of The BeastやSeventh Son of Seventh Sonあたりで第一の洗礼を済ましておき、その次に、「始めから二番目のもっとも偉大なもの」として、「永遠の歓びをもたらす楽園のフルーツ」であり「焼き尽くす愛の至福の炎」である本作に触れるようにすると、より素晴らしさが味わえると私は確信しています。
メンバーの言葉によれば、とくにコンセプトを意識したわけではない、とのことですが、私には一つのテーマを持ったトータルアルバムのように聞こえます。そのテーマとは、簡単に言ってしまえば、人の冒す「悪」と「罪」、そしてその報いというものです。緊張感溢れるハードな演奏に乗って、人間が犯してきた悪の数々、惨行・獣行三昧がこれでもか、といわんばかりに執拗に歌われています。侵略と戦争を描いた①⑥、力あるものによる暴圧と反逆③⑥、肉欲にまみれた退廃と犯罪、それがもたらす恐怖と破滅④⑦、理性の背後に潜む狂気と悪夢②⑤、そして最後にそれらへの「審判の日」が訪れる、という構成です。666は獣のしるし、それはすなわち人の証しであり、Hallowed Be Thy Nameは恐怖に脅える死刑囚すなわち私たちひとりひとりへ投げかけられた言葉であり、すべての人間の変わらざる墓碑銘です。 こうしてみると、宗教とは縁のなさそうな人たちのなのに、なんだかすごくキリスト教的な感じがします。やはりヨーロッパ人ということで、こういう観念が無意識の内に刷り込まれていて、音楽にまで影響を及ぼしているのでしょうか?
アイアンメイデンのテーマソングといってよい曲。この曲以降「ビースト」がかれらの通り名になったようです。 ギラギラしたギターとベースのドライブ感が素晴らしく、独特の高揚感がある曲です。当然ライヴでは大いに盛り上がりますが、なんだか秘密宗教の祝祭(もちろんかがり火&生け贄つき)のような邪悪な熱狂を感じます。曲としては明るい方なのですが、パーティというより、悪魔のカーニバルのような不穏さです。黙示録の一節を読み上げるOPとか、最後のブルースの奇声とか…。「陽気なゴシック」とでもいうような雰囲気です。bring your daughterとかもそうですが、メイデンが明るめの曲をやるといつも妖しくなってしまうのはなぜでしょうか。
どれもアッパーなMeidenの作品群のなかで、唯一沈静系(ダウナーではない)の聴き込むタイプの作品です。楽曲を支配する雰囲気はこれまででもっとも暗く、深く、暗示に富んでいます。暗いといっても、情緒的にべったり塞ぎ込むのではなく、知性の眼差しでもって自己の暗部を見すえるかのようです。ちょうど強烈な内省に没頭している人物の、あの近づきがたい厳粛な暗さのようなものがあります。自己の中に沈潜し人生を深く見極めようとする一方、来るべき「終わりの時」を予感しておののき震えるような感覚があります。ちょうどあのHallowed Be Thy Nameの前夜のような世界観、明日には処刑台に引き立てられる男が迎える最後の夜、という雰囲気といえばよいでしょうか。さながら「魂の午前零時」といった空気がこの作品の持ち味であり最大の魅力です。このバンドの場合、楽曲のムード自体がすでにバンドの個性を決定づける音楽的特徴になっていますが、このアルバムではそういった雰囲気勝負的な色合いが特に強いです。これを好むかどうかでアルバムの評価がかなり変わってくることでしょう。こういう音は夜更けに濃いめのコーヒーなどを飲みつつ、静かに味わうようにするとよいでしょう。
もうひとつ、じつはこのアルバム楽曲が非常に充実しています。「曲調が地味」とか「メタルっぽくない」というのは、たんに方向性の問題であって楽曲の質とは関係ありません。なによりメロディがよいです。深い憂いのメロディが曲のいたるところに散りばめられています。このメロディの深みと強さは他のアルバムと比べても傑出しており、6thや7thに匹敵するといってよいかもしれません。さらに雰囲気とメロディ、そして歌詞の相乗効果によって楽曲に奥行きある物語性が宿っており、似通った曲調の曲が続いても退屈さを感じさせません。疾走感や大げさなアレンジに頼ることなく、かえってそういった装飾をそぎ落として、純粋に曲としての説得力だけで勝負しているようです。 再編後のライヴでこのアルバムからの曲が取り上げられる度に、「実は名曲だった」的再評価を受けていることが思い出されます。冒頭の三曲はいずれも名作で有名なので省くとして、たとえば、The Aftermathでの「徐」から「急」へと移る際の絶妙の展開(あのChildren of Damnedに匹敵するほどの盛り上がりです), Judgment Heavenの悲しみの中にも透明感ある清楚なメロディ、Blood of Worlds Handsの「世界崩壊後の廃墟にたった一人取り残された男が空に向かって絶叫する」かのごとき強烈な「哭き」の感覚、The Unbelieverのプログレッシヴな展開と「すべてが終わる、その日、その時」を予感させるメロディの威力など、数あるMeidenの名曲に引けをとらないパワフルな曲がいくつも入っています。この劣悪なプロダクションでも、曲としての説得力を失っていないのはある意味驚異です。曲自体にそれだけパワーがあるからでしょう。このままでは曲がかわいそうです。再レコーディングが無理なら、せめてリマスター化による再発が待ち望まれるところです。
全体を振り返ってみれば、このアルバムで聞ける音楽性はある意味Meidenらしさの極北といってよく、彼らの音楽的なアイデンティティーが他のどの作品よりもダイレクトに表現されているような感じがします。あたかも処女が鋼鉄の覆いを脱ぎ捨てて、裸身を露わにしたようなものです。HM的音像とスタイルという外装を剥がして、彼らの(とくにスティーヴ・ハリス)のミュージシャンとしての本質というか、音楽によって本当に表現したいことの核みたいなものが露わにされている感覚です。そしてそれが本作のいつになく深みのある楽曲と世界観として見事に結晶しています。これを見るかぎり、一般的評価や商業成績は別として、本作は芸術的には間違いなく大成功といってよいでしょう。しかも次作以降現在に至るまでの作品は、いずれもトータルな完成度はともかくアーティスティックな面での魅力に欠ける面があります。(この観点から言えばDance of Deathなどひどいものです)。率直に言ってIron Maidenといういささか大きくなりすぎた看板を守るため、アーティストとしての創造性を抑え込んでしまっているといってもいいでしょう。そういった意味ではこの作品こそ Iron Maiden のひとつの終着点であり、ここで繰り広げられている音楽性こそ、彼らが深化(進化ではありません)の果てに最後にたどり着いた窮極の世界ともいえるのではないでしょうか?
これはひどい。目も当てられません。Meidenのアルバムの中では、唯一売却済みです。リリース当時はMeiden大リスペクトの後輩ミュージシャン達からすら激しい非難を浴びたそうで、偉大なる鋼鉄の処女の恥部というべき惨めな作品です。私としても、この作品だけは擁護する気になれません。Killersが未発曲集的凡作、Dance of Deathがセンスに乏しい問題作とすると(どちらも「名作」との絶賛の声が多いのは承知してますが)、このVirtual Ⅺは正真正銘の駄作といってよいでしょう。
しかし本当のことをいえば、ハリス先生には敢然と勝負に出て欲しかったです。ブレイズにすべてを賭けるつもりで、今までのドラマティック路線を捨ててMan on the Edge や Futurealのようなシンプルな曲で攻めるべきでした。そうなっていれば従来のファンを失望させたとしても新しいファンを獲得できただろうし、なによりVo交代の意義を広く人々に納得させられたことでしょう。逆に今までの路線を守りたいなら、涙を飲んでブレイズを切り、楽曲の世界観を表現し切れるだけの力量をもったシンガーを加入させるべきでした。少なくともこういう中途半端なことだけは避けるべきだったと思います。
あらゆる面で絶頂期といっていい時期のライヴなだけに、楽曲・パフォーマンスとも最高。何しろ、Operation〰 とPromised Landからほぼ全曲と、EmpireとRage for Orderの代表曲という、とんでもないセットリストです。まるで七段ぞろえフルメンバー&フルアイテム装備のひな飾りといった豪華な趣き。なにはともあれ「Eyes of Stranger」と「Silent Lucidity」と「 Screaming in Digital 」と「Someone Else」が同時に聴けるというこの奇跡に、生れてきたことを神に感謝しましょう
かくいう私も、先に「Rage for Order」「Operation〰」に聴きなじみ、Rycheの音楽にはもう慣れたぞと密かに自負していたにもかかわらず、あえなく撃沈。これを理解するのに数年余りの「感性の熟成期間」を経なければなりませんでした。途中で一度売ってしまい、思い直してまた買いなおした(やけにたくさん中古屋にあり、しかも安かったのが幸い)アルバムでもあります。とりあえず買ってから聴いて楽しめるようになるまで、最も長くかかったCDだと思います。
スタイル的にはデジタルな感覚が優勢だった以前と違い、アコースティックな要素が表に出てきていてます。しかし、これは叙情を歌い上げるというよりは、フォーク・シンガー的(ボブ・ディランとかスザンヌ・ヴェガ)な現実の批判的描写や個人感情の訴えというアプローチで用いられているようです。 実際、今作での彼らは、個人の内面から対人関係、社会関係における、どうにもならない「人間の悲哀」とか「人生の無常」(特にBridgeとOut Of Mindの歌詞は悲惨)をひたすら歌っているように聴こえます。そして個人の抱える様々な問題が、結果的に現代社会の歪みと病いの縮図としてリンクしてくる、というドキュメンタリー的な手法の冴えが光っています。 よってリスナーはこれをパーソナルで哲学的・実存的なテーマの作品として聴けるし、また極めて社会的な問題意識をもった作品ととらえることも可能です。もちろん何も考えずにただなんだか深そうな音楽だなあ、と聴くのもアリ。テーマの解釈&掘り下げ具合をもっぱら聴き手側の意識に委ねているという意味で、なかなか奥ゆかしい作品といえるでしょう。