1988年、東京都にて結成されたロックバンド。
愛称・略称はイエモン。バンド名の「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される、東洋人に対する蔑称である。命名のきっかけは、吉井が辞書で自身のアルファベットの頭文字である「Y」から始まる英語を探していたことから。このバンド名は、ダサくてシニカルな名前にしたいと考えていた吉井によって、結成前から命名された。バンド名に込められた思いとして、吉井は洋楽へのコンプレックスがあったと語っており、「日本のロックにこだわりをもっているが、『日本のロック』という言葉には既に洋楽へのコンプレックスがあり、それは永遠に消えない」としている。吉井曰く、ルックスが良くて長身なのが「イエローモンキー」のコンセプトであり、事実、183cmの吉井以下全員が180cm前後の身長である。バンド名が東洋人に対する蔑称ということもあり、The Rolling Stonesは「イエローモンキー」というバンド名を初めて聞いた際に、「すげえ名前だな。絶対忘れねえ」と語っていたというエピソードがある。
結成当初から在籍しているのは吉井和哉のみで、以前から親交のあった廣瀬洋一をメンバーに誘い、菊地英二、英二の実兄である菊地英昭の順に加入した。バンド初期はDavid Bowie、Mick Ronson、T.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、メンバーが化粧をしたりするなど、後のヴィジュアル系のようなルックスだった。
1992年5月21日、日本コロムビアより1stシングル『Romantist Taste』でメジャーデビュー。観客動員は軒並み上がっていったがデビューから3年間は売り上げ枚数は伸び悩み、メンバーはスタッフとミーティングを重ねた。ディレクターである宗清裕之との「10万枚で終わるか、オリコン1位を目指すのか」という話し合いに、メンバーは「オリコン1位を目指す」という答えを出し、これを機にしてチャート向けな楽曲作りに路線変更する。1995年1月にリリースされた5thシングル『Love Communication』はヒット曲を意識して作られ、目論見通り自身初のオリコンシングルチャートTOP30入りを果たし、スマッシュヒットを記録。同年2月にリリースされた4thアルバム『smile』はオリコンアルバムチャート初登場4位を記録し、大幅に売上はアップした。このアルバムを引っさげ、同年4月に初の日本武道館公演を実施し、即日完売するなど以後バンドは順調に人気を上げていく。
ファンハウス移籍後は独自のロックを追求。6thアルバム『SICKS』は吉井自らが最高傑作と自負する作品となり、オリコン初登場1位、オリジナルアルバムでは自身最高の売上を記録した。1998年にリリースされた7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』では、3作連続となるオリコン初登場1位を記録。ハードロック寄りとなり、ライブを強く意識したアルバムとなった。しかし、前年の「フジロック・フェスティバル’97」の挫折に加え、数々のアクシデントにも見舞われたこのアルバムツアーは、メンバーにとって精神的、体力的にハードなツアーとなった。
8thアルバム『8』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く。メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が帰国後、事務所に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた。結局存続するも、「微妙な距離感が生まれた」バンドはアルバムツアーを行わず、2001年1月「メカラ ウロコ・8」終了後にバンドを活動休止させ、メンバーはそれぞれソロ活動期間となる。ファンは活動再開を待ち望んだが、2004年7月7日に解散。
2016年1月4日、奇しくも申年となったこの年にバンドは再結成、16年ぶりの全国ツアーを発表した。
2012年までに国内総売り上げは1,008万枚を記録している。
Members
吉井和哉 – vocals, guitar
菊地英昭 – guitar, backing vocals
廣瀬洋一 – bass, backing vocals
菊地英二 – drums