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解説 - YMO

1978年、細野晴臣宅で結成。バンド名は細野が提唱した黄色人種独自の音楽を魔術に擬えた「イエローマジック」というコンセプトから。当初は例の3人に横尾忠則を加えた4人編成になるはずだったが、横尾が抱えていた仕事が結成記者会見の日までに完成させないといけなかったため、キャンセルすることに(当時はその日なぜか「行きたくなかった」と嘯いていた)。

デビュー作『イエロー・マジック・オーケストラ』の米国盤と、この頃に行ったライブから注目を浴びる。そして、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』でオリコン・チャート1位を獲得し、その名を幅広い世代に浸透させることとなった。国外ではすでに人気だった彼らが国内でも人気が出た瞬間であった。

アルバム『BGM』では当時の最先端DTMであったデジタルMTRを用いた実験作とも取れる作品で、当時の大衆には見向きもしなかったが当時の音楽ファンからはすでに評価され、大衆も後年になって評価を始めるような作品であった。そして、散開に向けてわざとテクノ歌謡に舵を切った『浮気なぼくら』をリリース。その後、アルバム『サーヴィス』とライブを最後に散開。

その後、不本意な再生時期があったが基本はソロ活動がメインであった。しかし、細野と高橋のユニットであるスケッチ・ショウを皮切りにゲスト参加者であった坂本もメインになり、結果的にメンバーが同バンドとなるも、当初は坂本を加えた形態であるヒューマン・オーディオ・スポンジであるといってはばからなかった。…年を重ねる二人にとってヒューマン・オーディオ・スポンジとイエロー・マジック・オーケストラの境目があいまいになり、結局はHASYMOなどと色々とあいまいなまま名義を使い分けて活動中。
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