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On the Border (1974年)
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On the Border
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解説 - On the Border
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コメント・評価

Recent 50 Comments



1. チョッパー ★★ (2005-04-08 01:03:00)

3rd。次作以降、神となっていくその予告編とも言うべき作品。
スゴイ名盤という訳ではないがその曲の完成度たるや前2作とは
比較にならない程だ。バンドが物凄い勢いで成長しているその
過程を見事に表している。特にラストナンバーは屈指の名曲。
唯一の欠点は信じられないほどセンスのないジャケ・・・




2. ゼンダ2 ★★ (2008-12-28 02:33:00)

確かに名盤とは言えないかもしれないですが、捨て難い佳曲が多いですね。



3. ひょうすべ ★★★ (2022-11-14 07:39:14)

このアルバムでもロケンローである。


2ndが売れなかった。
バンドはこれをレコード会社とプロデューサーのせいとした。
確かに"Desperado"は、リンダ・ロンシュタットが歌ってヒットさせたしね。

そもそもコンセプトアルバムなんて言い出すから・・・
は、あっちの方に置いている(笑)。

後にグリン・ジョーンズも

「アーティストは売れれば自分のおかげ、売れなければプロデューサーのせい」

この時初めて経験したと語っている。


2ndが売れなかったことで、ますますゲフィンにとって“どうでも良いバンド”になった。
自身もアサイラムをワーナーへ売り、ワーナーの重役になっていたし、大御所ボブ・ディランのマネジメントを手掛け始めていた。
なので、配下のアーヴィング・エイゾフへEAGLESを丸投げした。

このアルバムも当初は、英国&グリン・ジョーンズで始まったものの、
最初から、もめにもめた。6週間かけて結局2曲しかレコーディングできず、曲作りの為、一旦米国へ戻ることになる。
それ以降は、英国に戻ることはなかった。(英国では遊べないもんね)

ね。EAGLESってロケンローでしょ(笑)。
米国に戻ったメンバーは、エイゾフにプロデューサーの交代を要求し、エイゾフが用意したのが、ビル・シムジク。
元海軍のソナーオペレーターで音楽未経験者だが、ジョー・ウォルシュやリック・デリンジャーを手がけていた。
潜水艦に乗り込みソ連の潜水艦を耳で探索していただけあって、音を聴き分けるのが抜群上手い。
このころから24トラック録音が出始めたこともあり、ビルの耳が重宝された。
そして、メンバーが満足いくよう、何テイクのレコーディングを許可した。
(実はグリン・ジョーンズは、結構威圧的だったらしい)

そのレコーディング中にスライドギターが必要となり、バーニーの友人だったドン・フェルダーに参加を要請。
フェルダーはそのままEAGLESに加入となる。(このアルバムでは2曲参加 ①"Already Gone"、⑨Good Day in Hell)

第2弾シングルの⑩"Best of My Love"。
ラジオ局で良くかかっていたため、シングルカット候補となったが、フライは大反対。
しかし、レコード会社が無許可で発売してしまった。
しかも、ちょっと長かったんで、ぶった切ったバージョンで・・・・。

ね。レコード会社はロケンローでしょ(笑)。

しかし、この曲がEAGLES初の全米№1ソングとなる。
英国&グリン・ジョーンズで録音された2曲のうちの1曲だったことは内緒だよ(笑)。

このアルバム。以降のロック路線の過渡期と評され、あまり評価されていないが、ひょうすべがEAGLESの全アルバムで一番好きなアルバムがこれ。

理由は・・・・判んない(笑)。

ね。ひょうすべもロケンローでしょ(笑)。


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