この曲を聴け! 

J-POP
Kamiko (2004-01-06 00:41:00)
前にもどっかのスレで書いたかも知れんが、学生時代に音楽を勉強していた当時、とても衝撃を受けた先生のコトバがある。ボクはこれを聞いて音楽鑑賞の視点が180度変わった。そんなコトもあってか、ボクはj-POPは好きだ。以下、途中まで先生のコトバのパクリ。
メタルのようなエクストリームサウンドに耳が慣れてくると、歌謡曲やポップスが何やら軽く聴こえてしまう。
テクノやチェンバーロックなど多彩な音に慣れるとメタルがなにやら画一的に聴こえてしまう。
クラシックやアンビエントのような音楽に慣れると、上記のビート音楽が耳に馴染まない。
現代音楽や前衛音楽のような新たな芸術的価値を求める音楽に慣れると、上記の音楽全てが「出尽くした音」に聴こえてしまう。
こうして人間の感性は研ぎ澄まされるかと思いきや、感動する瞬間は確実に減ってしまい、退化していると言える。ここで立ち止まって音楽人生をカエリみると、自ら象徴化して音楽を消化しているコトに気付く。消化したと思ってもいつでも意図されたトコロで感動してるヒトなどいるはずもないのだ。結局、音楽に対する価値観が偏っているから「出尽くした」と感じるのだ。その殆どの場合、音響的価値しか持てない感性になってしまっているのではないか。
新たな音楽を楽しみたいと思って躍起になってる時は、どうしても音楽に対する価値が「音響的」なトコロに偏ってしまう。自分の中で「音響的価値が低い」と感じたモノは象徴化して消化してしまい、その他の価値を見逃したり認知できない感性になってしまう。
じゃ、他にどんな価値があるのか・・。
「世界観」「共感」「記録的価値」「行為」「動機」「懐古」「パフォーマンス」「パロディ」ナドナド。
大体こんな感じのコトを言われて、その時から足を向けて眠れなくなった。
ひたすら新しい音を探って唸っていたボクに対しては、先生の目は冷やかでした。ホントに感動してんのか・・まったくなっとらん・・といった感じか。耳が肥えたと思っていても実は消去法で退化の一途を辿っているのですな。それに気付いた時、俗から離れた孤高の音楽を求めることが音楽愛好家たる姿勢ではナイと感じたのである。酒と女を知る坊主は山に篭る仙人に勝るのだ(ヘンな例えやな)。
ボクにとってj-POPの多くは、音響的価値も多大にあるが「共感」「懐古」といった価値が大きい。共感する価値を大切に思えるようになると、J-POPをはじめ歌謡曲や演歌が非常に味わい深く聴こえ始めます。
>MOTORLLICAさんへ
こんばんわ。ボクもそういうコトで、チョットいいと思っただけでもスゴイと感じる知ったかぶり野郎な一面オオアリです。所詮魅力を感じるトコロは個人差オオアリでどんな価値観持っているかで好き嫌いが分かれるんだから。でもゴスペラーズやらCHEMISTRYやらに魅力を感じてるヒトが読むと、↑はやっぱ気悪いと思うよ。ボクはそのバンド知らないが。
まあ、楽しくやりましょ。
ウマゲーに行き詰まって途方に暮れていたコトもあり、文章がチョイ長くなってすんません。あまりにヒマだったのです。

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