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独り言・・・
ユミ (2005-04-24 00:35:00)
お爺ちゃんが亡くなった。83歳でした。

先週の金曜日、バイトが終わって帰る支度をしていたときに、母から「お爺ちゃんが倒れた」と、携帯に電話がありました。
お爺ちゃんが運ばれた病院は、私がバイトしている場所からも近かったので、(チャリで3分程度。)毎日バイト帰りに真っ直ぐ病院に足を運んではお爺ちゃんのお見舞いに行ってました。
そのたびに、ずっと付き添ってくれていたお婆ちゃんは「ユミちゃん来たよ。」と、お爺ちゃんに聞こえるように、口を耳につけるように言ってました。
私が「今日は調子どうだった?」と聞いても、「あんまり変わんないかな…」という言葉しか返ってこない日が続いていました。
お爺ちゃんの状態が悪い方に向かってないのは素直に喜べてはいましたが、でも良い方にも向かってないので、私としても何とも言えない気持ちは押さえつけることもできず、ただお爺ちゃんの冷たい手を握ってあげることしかできませんでした。
親戚の叔母さんが「ユミちゃん、明日もバイトあるんでしょ?後は私たちがやっとくから今日はもう帰りな。」と、私の体のことも気遣ってくれていました。
家に帰っても、不安で、落ち着くこともできなくて、あまり眠れない日も続いていました。
次の日も、また次の日も、私はバイト中にもお爺ちゃんの事が頭から離れず、同じバイトをしている友達や上司に声をかけられるときも「ユミ、ユミ!!」と、いちいち大声でしか反応できないくらいボーっとしている時間のほうが多かったくらいでした(汗)

そして、お爺ちゃんが倒れてから一週間。
バイト中に、携帯に母から電話が鳴りました。
「ユミ?爺ちゃんが...」
母は掠れた涙声で、それでも言葉を押し出そうと精一杯でした。
状況はすぐに把握できていました。
私は、「うん、わかった。今すぐ行く。」と伝え、バイトは早めに切り上げ、ただ今は一秒でも早く病院に行かなきゃならない。
そう自分に言い聞かせながら急いでチャリをこぐ。
病院に着いて、ダッシュでお爺ちゃんのいる病室へ走って行きました。

ドアの前で、お父さん、お母さん、お婆ちゃんが立っていました。
三人とも涙目で、唇が震えてました。
病室のドアが閉まっている。いつもは開いているのに。
私は思わず開けてしまいました。
そこには、看護婦さんが数人。
ベッドには、今まで腕に刺さられていた何本もの痛々しい管が全て抜かれたお爺ちゃん。
白い布が乗せられていました。人工呼吸器も片付かれていました。
私は思わず泣き崩れ、看護婦さんの腕を借りながら、立てるのがやっとのくらい。
廊下に出て、泣き止まない私を、お母さんは優しく抱いてくれました。
お医者さんは「一週間も、よく頑張った」と言っていました。

私は兄弟も姉妹もいない。
小さい頃は、家族内では何をしていても一人で、いつも「お兄ちゃんや妹がいたらなぁ…」なんて思っていました。
そんなときにいつも頭に浮かぶのがお爺ちゃんの事でした。
小さい時から、誰よりも可愛がってくれたお爺ちゃん。
お爺ちゃんが胡坐をかくと、私は魅かれるように胡坐の間に座るのが、とても心地良かった思い出があります。
小学生から中学生へ、中学生から高校生になるにつれて、「大きくなったなぁ」と言われるたびに、逆に私はいつの間にかお爺ちゃんの衰えを隠さずにはいられませんでした。
でも、歳の割には呂律も回っていて、元気で、明るくて、カッコよかったお爺ちゃん。
最後に会って話したのが先月の彼岸。
家族でお爺ちゃんの家に行った時のことでした。
「この歳まで生きるとは思ってなかった。こりゃあユミの子供を見るまでは死ねないな」と、笑いながら話していたお爺ちゃん。
私は、「やめてよ、そんな恥ずかしいから」と照れ隠しするのが精一杯でした(笑)
それでもそんなお爺ちゃんが、私は大好きです。
もしも私が、いつか出会うべく男の人と結婚して子供ができたら、真っ先にお爺ちゃんのいるお墓へ行こう。
お爺ちゃんが最後に私に望んでいてくれたことだから。

もうお爺ちゃんはこの世にいないけれど、もう会うことはないけれど、もう一度だけでも会って話をしたかった。
後悔してももう遅かったけれど、お爺ちゃんとの色んな思い出は何よりも大切です。絶対に忘れません。
だから安心してね。私は寂しくなんかないです。私はいつでも元気です。
本当にありがとう…。ずっと見守っていてね。

>ALL
もう自分の心に押さえつけようとしても、気持ちが涙に変わって溢れてきてしまうので、誰かに聞いて欲しくてこの場を借りました。
長文、乱文、皆様のお目汚し、大変失礼しました。
そして、最後まで読んでくれてありがとうございました。
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