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その時歴史が動いた
クーカイ (2005-07-16 11:36:00)
しばらくお邪魔できなかったんですが、話題が思わぬ方向に発展していて、なかなかスリリングです。
原理主義者はどこにでも居ますね。私ははっきり言って嫌いです。
業界にも居ますよね。業界原理主義者。
自分の属する業界のルールが何よりも優先されるという考え方の持ち主です。
自分(と、業界)の権利を主張することに執着すると、知らぬうちに一般常識から乖離した行為を平然ととるようになります。注意したいと思います。
元寇の話題に関連して。
当時の武士というのは実は底辺を支えていたのは半農半武の武士達だったと考えています。
戦があるときは武装して馳せ参じますが、戦が無い時は自宅周辺で耕作しています。
その武士達を束ねていたのが、武士団の頭だったわけですが、このクラスの方々は『吾妻鏡』などにも名前が登場します。とはいえ、武士団の頭クラスでも今に例えて言えば中小企業の社長さんですね。生き残りに必死です。誰につけば生き残れるのか。ですから、同族的な結びつきが有ると思われる武士団の中でも、ある一派と別の一派が敵になって戦っているケースがあります。
では、中世において非武装宣言をした場合、戦いに巻き込まれずに済むのかというと、これは無理だと思われます。ですから、おそらく「単なる農民」という方々もどこかの武士の一派に属し庇護を受け、後方支援部隊(要するに食料の生産)として編入されなければ生き残れない状況にあったと思われます。
そこでまた、仏教の話に戻りますが、このような状況下であったからこそ、鎌倉新仏教は教線を拡張出来たのだと考えます。
また、その下地には浄土教の広い浸透があったのでしょう。古代末期以降、近世の始まりまでの間、人々にとって死は非常に身近なものでした。誰かの死に立ち会うことは現代に比較しはるかに多かったでしょうし、「殺さなければ(自分もしくは家族が)殺される」という状況も多かった。浄土教は「悪事を為すと地獄に落ちる」という考え方を非常に強く主張しますので(『往生要集』源信)、この教えを信じる人は「自分が生き残る為に人を殺す(悪事を為す)と地獄に落ちてしまう」というジレンマに直面してしまいます。かといって殺されるのは嫌だ。
そこで大いに救いになったのが、「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に往生できるよ。という教えでした。もしくは、光明真言を唱えれば大丈夫だよ。あるいは「南無妙法蓮華経」と唱えればOKだよという教えでした。
これは別の側面で見ると、いかに中世の人々が人を殺して自分が生き残ることに罪悪感を感じていたかということです。また、自分が生き残ることを前提に考えていますので、いかなる苦境の中にあっても生を肯定しているということも伺えます。殺されることは御免だ。生きていたいんだ。でも生きることが罪を為すことであれば、その罪をどのように消滅させればいいんだ。中世人のそういった願いに応えたのが鎌倉新仏教の祖師達だったのです。
また、長くなってしまいました。
しかし、現代日本社会の中で起こる殺人事件に対する「罪の意識の希薄」さを見ると、戦乱の世で殺伐とした世とされる中世の人達の思いをもう一度深く考えてみるのも一考かと思うのです。
もう一度繰り返しますが、歴史を知るということは単なる教養や知識を得る以上のものを与えてくれます。自分がどう生きていくかという指針になりますし、他者とコミュニケートする有効な道具になります。
ただ、戦国大名の処世術を、経営やビジネスの方法論として援用するというのは、歴史を利用する方向性としては間違っていないし、大いにやってほしいと思うのですが、一方で「それだけじゃないんだけどな・・・」と複雑な思いもあったりして(笑)。
まあ、学生の皆さん。歴史は楽しいっすよ。役に立ちますよ。嫌わないで下さいね。ってことで今回はしめたいと思います。・・・お粗末!

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