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NO WAR

雷車輪 (2003-04-18 03:14:00)
現在の世界も、国連が正常に機能していず、世界の警察が存在していない状況では、外交努力なんて空虚なものに感じます。暴漢(ここでは法を守らない者という意味で)に外交(問うて聞かせる)が通じるでしょうか?力を押さえるものは結局力でしかありません。
何かの漫画で「正義無き力は暴力なり。力無き正義は無力なり。(うろ覚え)」というフレーズを目にしたことがありますが、その通りだと思います。
力が無く(あっても友人には使ってはならない)、友人がやられても助けることが出来ない卑怯な国の発言を誰が聞くでしょうか。もし俺が暴漢に襲われているとき、友人が「僕の家の決まりでは、集団的自衛権を認めていないから、君を助けることは出来ないんだ」といわれたら、その友人の発言なんてまともに相手しないでしょう。その友人が暴漢であれば尚更聞く耳持たないでしょうね。
また、こういう憲法があるから、誰も日本君と友達になりたいとは思わないでしょう。金は出すけど、侵略されたら助けてくれない日本君。あなたは友達になりたいですか?こういう憲法を、日本国民として、恥ずかしく思います。
近隣諸国条項については、?「客観的な」「科学的根拠に根付いた」「偏向のない」歴史観を、「相互に」与えあうのであれば、俺は構わないと思いますが、現実は「一方からの押しつけ」です。その押しつけられている歴史観は「客観的な」「科学的根拠に根付いた」「偏向のない」歴史観でしょうか?あなたが判断してみてはいかがでしょうか。
俺自身は、反日の国には援助をするべきでないと思っています。
経済援助に関していえば、その使い道に関してまで、日本があれこれいうことは内政干渉ではないでしょうか?本当に困っている人民や場所に届かないとしても、日本にその責任はあるのでしょうか?「日本は首領様とグルだった」と思われないためにも、反日の国には援助をするべきでないでしょう。日本が援助した金で核を作っていることも現実にあり得ます。
また技術援助について触れられていませんでしたが、資源のない日本は、技術やライセンスは絶対に失ってはならない財産です。その技術は国外に流れています。しかも反日の国に、です。
反戦とか綺麗事をいって、戦争が無くなるならば軍隊も警察も自衛隊も必要ありません。しかし、綺麗事では戦争を止めることは出来ません。日本は国土は小さくとも大国のひとつです。世界の平和の為に、綺麗事ではない、平和維持活動をするために、憲法改正を急ぐべきでしょう。