この曲を聴け! 

帰ってきたクーカイさんのページ
帰ってきたクーカイ (2017-05-20 18:50:10)
 『最後の物たちの国で』 ポール・オースター
 『極北』 マーセル・セロー

 基本的に読書って、仕事が絡んでいない時には純粋に楽しみだけを求めて行う行為だ。私にとっては。
 だから、つまらないものは読まない。読んでいて退屈するものは時間が無駄だ。
 それで上記の二作品は、読んでいてつらかった。
 退屈な内容ではないのだが、読んでいてつらい。途中、1・2度読むのを中断して少し置いておく必要があった。
 大抵、面白い本は一息に読んでしまう。作品が提供してくれるドライヴ感に乗ってどんどん読み進めていき、夢中でページをめくる。気づくと結構なページ数を読み進めていたことに気づく、というのは読書の醍醐味だ。
 上記の2作は面白いんだが、つらすぎる。「次、どうなっていくんだろう」と思うのだが、その「次」がもっとつらい展開であったら・・・と思うと、なかなか乗れない、という感じだった。
 
 より強烈なドライヴ感を味わえるという意味では、マーセル・セローの『極北』は見事だ。展開が本当に読めない。読後感にあるのは、絶望だけでなく、淡い希望もある。ずっしりと重い小説を読んだという満足が感じられ、何か腕組みをして考えさせられてしまうものも、しっかりと含まれている。優れた小説というものは、作り物の枠を超えて、現実の世界全体を俯瞰する(もしくは最も深い海の底から、海面を眺めるようにゆらめく世界を眺める)ような視点を提供してくれる。考えたところでどうなるものでもないかもしれないが、物事をみる見方(視点)を変えるきっかけを提供してくれるというのは、貴重だ。

 ドライヴ感はセローの作品ほどではなく、淡々と進んでいくのだが、やはり強烈な読後感を残すという意味では、オースターの作品も凄絶なものがある。主人公がつらい思いをするのが可哀想になってくるのだが、やはり最後はかすかな希望が(本当にほんのかすかなのだが)感じられる。

 この二作品に共通するのは、主人公が女性である点と舞台となる世界が破滅的な状況に陥っている点の二点だ。
 そして我々の現実世界も、一歩、四つ辻を誤った方向に踏み込むと小説と同様の世界となってしまう可能性がある。

 つらいのだが、読んでおく価値があった。

 

→同意