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RAY KENNEDY / RAY KENNEDY
失恋船長 ★★★ (2018-06-07 15:26:53)
下積み時代の長かったレイ・ケネディ、彼ら名が一般的に広く知られたのは、カーマイン・アピス、マイク・ブルームフィールドらとKGBを結成したのが最初だろう。その後2枚のアルバムを残し消えたKGB、大きな成功を収められなかったのだが、1980年にソロアルバムをリリースしたのがコチラになります。
TOTOのポーカロ兄弟をはじめにメンバーがレイをバックアップ、さらにはミスターグラミー賞と呼んでも差し支えないデヴィット・フォスターも加わり層の厚いメンバーが手厚くレイのソロアルバムに力を注いでいます。
その期待に応えるように、力強い歌声で洗練されたポップスを見事に歌い上げるレイ・ケネディ。良い曲と良いパフォーマンスに彩られていたが、こちらも大きなヒットを生む事無く活動は終了。結局、表立った活動を継続することなく、その後は、裏方としての人生を歩んだレイ。彼の名が一躍HM/HRの世界で脚光を浴びたのが、1984年に西武球場で行われたスーパーロック84にMSGのメンバーとして参戦。解散状態のMSGが日本での仕事をこなす為に、急ごしらえのヴォーカルがレイ・ケネディだった。
その急転直下の加入は、来日直前だったらしく、ろくにリハーサルも行えず当日のライブを迎えたの事だったらしい。そのリハーサル不足と、レイ・ケネディから発せられる場違い感MAXのオーラに同情を禁じ得ないが、巷で散々と酷評された文言には乗っかる事は出来ません。
所謂、『レイはポップス畑のシンガーだからダメだ』ですね。今作を聴けば、彼がいかに声に押しがあり、けしてMSGのサウンドに負けるような歌い手ではない事が確認できると思います。同じバックボーンを抱え、RAINBOWからロックの世界に足を踏み入れたグラハム・ボネット同様、レイにも十分にチャンスはあったわけです。当時、レイがどの程度シンガーとして、ステージに立っていたのか、またどれだけ急だったのか、そもそもMSGはオファーを受けるだけの状態だったのか等、実に裏話の多い参加劇となったレイ・ケネディを擁する幻のラインナップですが、映像も当時のVTしかなく、なかなか確認出来ないのが現状ですが、ワタクシは数少ないレイ・ケネディ擁護派です。
それにしても皮肉なものです、今アルバムの邦題が『ロンリーガイ』だもんなぁ。スーパーロック84当時は相当イジられたからね。
2014年に他界。もうその歌声を聴くことは出来ませんが、レイにはMICHAEL SCHENKER FESTに是非とも参加してもらいたかったなぁ。

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