この曲を聴け! 

その時歴史が動いた
HIGASHI (2021-01-31 08:09:24)
「楠公さん」を大河ドラマに!

このスレッドは確か100くらい書き込みがありましたが、半分消えたみたいなので、また地道に復活させていこうと思います。
さて復活第一弾は一番最初に書き込んだ楠木正成についての話題です。このタイトルは楠木正成ファンの私が勝手に叫んでいるわけではなく、大阪の河内長野市が具体的に行っている運動です。河内長野市は楠木正成ゆかりの地として地元観光産業の起爆剤としてこの運動をすすめており、同じく同市出身の吉村大阪府知事を中心人物に据えて進められています。
時期としては大阪万博がある2025年あたりがベストだと踏んでの動きだと思います。いまその署名を集めている最中で、私もぜひ署名したいと思っております。
ただ当然ながらこの運動には反対する市民団体もあり、彼らのこのような主張をしています。

原文のまま貼り付け
「この問題は教科書問題と深くかかわっており、日本会議ら右派の皇国史観の流布を止めることは、非常に重要な意味を持っています。育鵬社歴史教科書ではすでに楠正成は天皇の「忠臣」とはっきり書かれています。その他の教科書ではそこまでではなく、「悪党勢力」とはっきり書いている教科書もありますが、神話の「神武天皇」が教科書改訂のたびに教科書で大きく扱われるようになっていったのと同様に、楠正成も状況次第では今後大きくなっていくかもしれません。教科書運動もそうですが、怪しい動きが見つかったら、すぐに芽を摘むことが重要だと考えます。」

この文章を読んで、この時代の歴史をかじったことのある方ならお気づきでしょうが、悪党の意味を完全に誤解しています。現在では悪党というと、反社会的・反道徳的な活動をしているやつら、という意味合いで使われることの多い言葉ですね。でもこの時代はそのような意味では使っておりませんでした。
どちらかというとその当時の支配下勢力に対するレジスタントのような意味合いが強く、悪い支配をしている政府に対し、時代をよくするために立ち上がった正義のヒーローに対して使われた言葉なのです。悪党は誉め言葉なのです。

こんな歴史的な言葉の土台も正確に理解せずに反対を唱えられてもどうなんだろうね、というのが私の最初の印象でしたし、ため息しか出てこなかったですね。
楠木正成は確かに戦前はヒーローとして扱われ、特攻隊の悲劇を生みだす「七生報国」の権化でしょう。それは紛れもない歴史的事実。ただそれはその当時の思想が悪かっただけで、楠木正成自身には直接関係のないことです。それが証拠に楠木正成はこの時代以外でも日本史の中では絶大な人気があった人物なのです。室町・江戸・幕末を通して多くの武将が楠木正成のようになりたい、と行動しています。むしろここまで楠木正成を知らない・学ばない現在こそ日本史の中では異常な時代が続いていると私には思えるのです。

グローバル化も結構なことですが、そもそも自分たちが何者なのか、どういった歴史を歩んで来た人たちなのかを知っておかないと本当の意味のグローバル化はなされないのではないでしょうか?
だから楠木正成の生き方を学ぶ機会となる大河ドラマ化を私は強く望みます(笑)

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