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その時歴史が動いた
HIGASHI (2021-07-11 07:17:21)
「我に七難八苦を与え給え」
復活第3弾は山中鹿之助についてです。
昨今は新型コロナウィルスの報道が毎日されていて本当に気が滅入りますよね。やれ変異ウィルスのイギリス型、インド型が加速度的に全国に蔓延だの、やれ緊急事態宣言だの、全く状況が好転していない印象の報道ばかりが巷に溢れている。そんな全く光明が見いだせないこんな時代、思い出したいのがこの山中鹿之助のこの言葉です。
想像できると思いますが、これは七転び八起きをもじった文句です。七回転んでも八回起き上がるという発想。これをさらに過激に七つの苦難とさらに八つの苦労を与えてくれ、というドⅯな発想は一体何が言いたかったのだろうか?
山中鹿之助は戦国時代、山陰の雄として知られる尼子氏の家臣として活躍した人物です。ただ彼が仕えた頃の尼子氏は斜陽の頃であり、日の出の勢いの毛利氏に押されまくっていた。名城と謳われた月山富田城も落城し主家も没落した。そんな頃、彼は毎夜月に手を合わせてこの文句を心の中で唱えていたという。たとえどんな苦難が自分に降りかかろうとも必ず状況を好転させる!という彼の強い意志の表れがこの文句なのだ。
その言葉通り、毛利氏に一度は捕縛されながらも、知恵を働かせて脱出し、尼子氏の遺児勝久を還俗させて、月山富田城奪還を目指します。織田信長・羽柴秀吉の協力を得て、一時は上月城を獲得し、かなり勢力を持ち直すが、時の運が味方せず、不運にも織田信長に見殺しにされる形となり、上月城は落城し、尼子勝久は自刃。またしても鹿之助は毛利方に捕縛されます。彼のような天下に名前が轟いている猛将が自刃しないのはおかしい、と睨んだ毛利方の吉川元春は移送の途中に高梁川のほとりで彼を惨殺して、彼は生涯を閉じることとなります。
なんだ失敗の人生ではないか、と思う方もいらっしゃると思う。彼ほどの武将なら尼子氏が没落した後にいくらでも仕官先はあっただろうから、とっとと鞍替えして新しい主君の元で出直せば良かったんじゃないの?っていうのが現代人の発想だと思う。実際そういう武将もあまた存在します。城づくりの名人、藤堂高虎なんて正にその典型だろう。
ですが、戦前の頃までなら圧倒的に山中鹿之助の方が人気があった。どんなに苦労すると分かっていても、主君のために希望を捨てず、決して裏切ることなく最期まで努力を続けるその姿勢に日本人はしびれたのである。たとえ七難八苦が待ち受けていても屈せず、あらがっていく精神力の強さ、そして義の精神にこそ多くの日本人は憧憬を抱くのであった。
それに鹿之助自体は不幸な人生だったが、その息子は大阪で財を成し、今も続く鴻池グループの礎になったので、2代にわたる成功物語だと思えば好印象になると思う。
そんな彼の苦労に比べれば昨今の新型コロナウィルスの苦労など簡単に乗り越えられる現象だ。確かに一日当たり2千人の新規感染者は出ているが、ワクチンは1日当たり約100万人に接種している。感染するよりも約500倍の速さでワクチンは打たれているのであり、それがこれからも続いていく。挙句に2回接種すれば90%以上感染を防ぎ、重症化を抑えるという。自分に振り返ってみてもコロナに感染する確率とワクチンを接種する確率はどう考えてもワクチン接種の方が自分には早くやってくるのだ。僕の場合は7月末にワクチン接種の予約も完了している。そう思えば今まで通りにキチンとコロナ対策を続けていれば、恐れることでもないと思う。もう出口は見えている。山中鹿之助の苦労に比べれば、足元にも及ばないほどのことだとわかる。
とは言え、油断は禁物だ。彼の名文句を唱えながら、日々を慎重に、でも明るく過ごしていこうと思う。我にも七難八苦を与えた給え・・・・・・。
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