この曲を聴け! 

JUDAS PRIEST
JOE吉田 ★★ (2003-05-25 00:06:00)
それまで最も好きだったバンドが、あまり好きでなくなる時というのは非常にさびしいものがある。私にとっては、ジューダスがPAINKILERを出した時がそうであった。
私とジューダスの出会いは1983年高2の秋であった。82年末と洋楽デビューが遅かった私は、しばらくしてハードなロックが好きだと気づき、やがて雑誌のジューダスの記事を読んでなんとなく自分が最も好きになるバンドになるかもしれないという予感と期待を持って、当時の最新アルバムであるSCREAMING FOR VENGEANCEを入手し針を落とした。1曲目のTHE HERION~ELECTRIC EYEにはかつてない戦慄を覚えた。凄まじい曲だ。他の曲の印象を全く覚えていない。それほど凄まじいインパクトと感動を覚えた。年が明けて84年初頭、DIFENDERS OF THE FAITHが発売され、すぐに聴いた。期待通りだった。決して期待以上ではなかった。これぞ自分にとって最高のアルバムになるとの確信とあまりにも高い期待を持って聴いたいたからである。今でも、このアルバムは全ロックアルバム中のベストである。ELECTORIC EYEのような6つ星の曲はないが全曲が5つ星という凄まじいハイレバルのアルバムであった。
それ以降彼らの過去のアルバムを聴きあさった。多少の出来不出来はあるがどれもすばらしい作品であった。
86年に問題作TURBOが発売された。発売当初から賛否両論があったが、私にとっては方向性が変わったのは確かだが、優れたミュージシャンがやると間違いなくハイレベルのものが出来るとの確信は決して裏切らないものであった。
そして88年にRAM IT DOWNが発売された。これも相当の期待を持って聴いた。しかし今回は裏切られた。全く気に入らないアルバムであった。しかしそれほどショックではなっかた。というのもこのアルバムは一般的な評価も低かったからである。ジューダスもたまには調子が悪い時もあるさ~くらいの意識だった。
90年にPAIN KILLERが発売された。前作が前作だっただけに大きな期待がかかる。しかし、期待は大きく裏切られた。ショックだった。というのは世間一般の評価が高く私の感性とのギャップがあまりにも大きかったからである。このサイトでもタイトルチューンがジューダスの1位に君臨している。しかし私にはただ速くて(バスドラの16分音符の連打はおじさんにはきつい)うるさいだけの曲にしか聴こえない。この瞬間、私のとってジューダスは現役バンドではなく過去のスーパーバンドへと移行してしまった。もっとも好きなバンドであっただけになんとも寂しい体験であった。

→同意