この曲を聴け! 

LACRIMOSA
★★ (2005-02-13 22:01:00)
「照れながらやるから“恥ずかしいことをしている"と思われるのであって、
堂々とやれば、誰も“恥ずかしいことをしている"とは思わない。」
芸をやるときに、よく言われている言葉です。
LACRIMOSAの場合にも、この言葉がよく当てはまると思います。
はっきり言って、冷静に聴いてみれば、メロディは大したことないです。
一歩引いて聴けば、感情ほとばしり出るヴォーカルも、ほぼ単音のピアノソロも、
「フッ」ていう失笑ひとつで片付けられます。
結論から言えば、LACRIMOSAのファンは皆、ティロ様に騙されています。
ティロ様の世界に一度同調したが最後、大したことのないメロディラインも、
感情ほとばしり出すぎて失笑を誘うヴォーカルも、ほぼ単音で初心者でも弾けるピアノソロも、
「LACRIMOSAならではの魅力」として捉えられてしまうのです。
騙されたと知りつつも、できればこのまま騙されていたい。
一歩引いてしまったのを無かったことにして、また元通り一歩前進したい。
そんな気持ちを起こさせてくれます。
LACRIMOSAが恥ずかしいのではなく、その恥ずかしさに気づいた人のほうが恥ずかしいのです。
一歩引くか、引かないか。その一歩の差で評価が大きく変わる危うさを持っています。
まさに「裸の王様」です。この場合は、恥をかいたのは王様ではなくて少年の方。
Elodia以降のオーケストレーションにしてもそうです。
ティロ様はあんなメロディセンスしか持っていないくせに、一体どこからあの荘厳なアレンジが生まれてくるのか?
ティロ様はセンスがあるのか無いのか、どっちなのか?これも一歩の差です。
ティロ様のソロプロジェクト「SnakeSkin」の「Music For The Lost」を聴いていても、この一歩の間合いをどう取ったらいいのかわかりません。
その危うさこそ、私がLACRIMOSAに惹き付けられる大きな魅力です。
このように、LACRIMOSAの魅力について、私は何行あっても書ききれません。
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