この曲を聴け! 

The End of Heartache / KILLSWITCH ENGAGE
絶叫者ヨハネ ★★ (2006-02-07 22:54:00)
論旨によくない所があったので修正します。……しかし、いつになく批判的で突き放した調子になってしまいましたね……。
下に書いたことはあくまで個人の主観ですので余り気にせぬようにお願いします、ただ実際自分で音を聴いて感じたことであるのは確かです。

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おたまじゃくしサウンド、以上。

いや、これだけだと意味不明なので、例のごとく駄弁の限りを尽くして「気になる点」をつっついて見ましょう。

「メタルコア」なんていうから、てっきり「メタル化に成功したDischarge」とか、「ハードコアへの傾斜を深めたSeplutura」みたいな切迫した音だろう、と思って聴いてみたら、見事期待を裏切られました。
「何だ、ただのメロデスじゃん」というのが第一印象。まあ、細かく聴いていくと確かに違うんだけど、音から受ける印象がなぜか「アメリカのトレンドにすり寄った最近のメロデス」(特にSoilwork)そのものです。これならわざわざ別の呼称をつけなくとも、というのが正直なところ。

楽曲の質自体はなかなか高いと思うけれど、どれもこれもどこかで聞いたことのあるようなフレーズと手法の継ぎはぎに終始している感があり、オリジナリティのかけらも感じられないのは大きなマイナスです。聴いていて、ここはメロデス、あそこはハードコア、ああ、そいでモダンへヴィね、という感じですぐに元ネタが割れてしまうのが情けないです。すでにボロボロになるまで使い古された手法をいまさらリサイクルして、どうするのだ、と言いたくなります。こういう無意味なミクスチャー(パッチワーク?)をやるくらいなら、すでに型として確立されたスタイルを叩き台にして自分たちの個性を表現した方がずっといいと思うのだけれど。

しかも曲展開に脈絡がなく、何故そこでそれをする必要が、と言いたくなるような場所で不意にへヴィリフの刻みやクリーンヴォイスが入ったりします。パートとパートのつなぎにあたる部分が極端に弱いせいで、曲の自然な流れがあちこちで寸断されてしまっているのです。とくにへヴィパートからサビのメロディアスなパートへ移る際に、両者の間の架け橋にあたる部分がないため、クライマックスへ向けてのスムーズな盛り上げが利かないばかりか、唐突な印象さえ与えてしまいます。まるで四コママンガの三コマ目を抜かして、いきなり四コマ目のオチへ飛ばすようなもので、これだとせっかくの美しいメロディが生きません。

もう一つ、彼らはIn FlamesやSoilworkと同様、曲によってイメージを描けないという欠点があります。いや描けない、というより、へヴィパートの時とクリーンパートの時のトーンや雰囲気が違いすぎるせいで、曲全体としての一貫したイメージを持つことができないのです。
よく美と醜のコントラストといわれますが、コントラストはそれが乗せられる土台が共通であってはじめて生じるもので、それがなければ単に無関係な二つのものがあるだけで意味がありません。例えば画面上でのレッドとブルーの対比は、両者が同じ白いキャンパスという土台にあって生じてくるもので、二つの色が別のキャンパスにあったり、そもそもキャンパス自体が真っ黒だったりすると全く意味がありません。しかし今の彼らの曲は限りなくコレに近いものがあります。脈絡のない幾つかのイメージ、印象が並べられているだけに聴こえます。
そのせいで曲全体としての雰囲気とか世界観というものが全然見えてきません、個々のタイルだけがカラフルで、全体としては意味のある図案をなさないモザイク画みたいなものです。

とりあえず音の背後にイメージやドラマ性を宿らせることができないというのは、スタイルより何よりHM特有の「曲が醸し出す雰囲気や世界観」が好きな人間には致命傷でした。

こういうわけで今の彼らの音はまるで「足の生えたおたまじゃくし」のような不自然さです。
彼らが日本でいまいちブレイクしないのは、懐古趣味の保守的な某誌とか古風な人びとのハードコアルーツへの偏見の影響かなとか考えていましたが、実際聴いてみて考えを改めました。

一言でいって、「音に圧倒的な説得力がないから受けない」、「音楽に魅力が欠けるからブレイクしない」、ということだと思います。
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