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-1.
帰ってきたクーカイ
(2016-06-30 18:23:42)
ここでは音楽以外の事について書きたいと思う。
履歴書の趣味の欄に、「音楽鑑賞・読書」と(実際そうなんだよな)と思いながら書いていた人間なので、読書について書くことにする。
読書量は、多分多い。
仕事の関係で、読まなければ(仕事に)ならない読み物が多い。
それだけでなく、そもそも子供の頃からフィクションが好きだった。
だけど仕事関係以外は、純粋に楽しみのための読書なので、まぁ、まぁ。という感じ。
備忘録的に書き込みます。
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0.
帰ってきたクーカイ
(2016-06-30 18:45:46)
好きな作家について
読書体験で、最初期にはまった作家さんについて書く。
眉村 卓 さん。
初めて小遣いで本を購入して、いまだに手許に所持しているのは、この方の『ねらわれた学園』(昭和51年7月30日初版)である(持っているのは昭和56年9月20日発行の第32版)。
どうして本屋で手に取ったのか。
決まっていますよね。
薬師丸ひろ子さんが表紙だったからだ。
当時(から数年後まで)、角川文庫は“メディア・ミックス”の手法で事業展開しており、自分のところで出版している書籍を原作とした映画を製作、配給していた。
当然、テレビを見ていると映画の宣伝が流れる。
するとそのCMに心惹かれた、どこかの片田舎(ド田舎か)に住むガキ(俺のことね)も興味を持って、小遣い握りしめ本屋のレジに並ぶわけだ。
でもそれは全然悪い事ではなかった。
『ねらわれた学園』は名作だからだ。
実のところ、映画は見たことがないから全くコメントが出来ないのだが、眉村卓さんの原作は、単なる「ジュブナイル」というカテゴリーを超えて、普遍的な問題を提示している。学ぶことについて。親について。他人と違うことについて。少年(少女)の時期を過ごすことについて。
今、いちいち読み直してコメントを書いていないので、多少「なんだよ、想い出補正かかってんじゃないの?」と言われることを書いているかもしれないが(それは以下に記入されるであろう書き込みの、全てに該当する。もうほとんど読んだ想い出や読後感に従い書き込むつもり)、大筋では誤ってないはずだ。
と、書きつつ、本の内容に全く関係ないことで締めてしまいます。
「中高生の頃、薬師丸さんが同級生だったらなぁ」
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1.
帰ってきたクーカイ
(2016-06-30 19:03:29)
好きな作家について その2
なんといっても横溝正史先生ですね。
子供の頃、子供向けにアダルトな部分は削除して、集中力の続かない子供でも読み通せるように、色々と切ったり詰めたりしたヴァージョンの『八つ墓村』を読んだ。
もちろん手に取った理由はテレビCMっすよ。
まったく、角川書店のメディア・ミックスの影響は絶大なものがある。
子供って、妖怪とか幽霊とか、オドロオドロしいものが好きじゃないですか。
怖いもの見たさっていうか。
うちの子供等も言っていたもんね。「ねぇ、怖い話して」
怖い話を聴いて寝られるんだろうかと思わなくもないけれど、しちゃうんだけどね。
『八つ墓村』の優れた箇所は、いくつもあるんだけれど、ミステリーであるにもかかわらず怪奇なテイストがあり(この作家の他の作品でも言えるよね)、それでいて超ロマンティックな話なんだよね(こういう嫁さん欲しいな、と思った。あり得ないし、この女性だって結婚後どんな変貌を遂げるか、わかったもんじゃないけど)。
大人になってから読むと、「う~ん。これは現実的に考えると、結構考えちゃうなぁ」というシチュエーションもあるわけなのだが、読んでいる最中は勢いで乗り切っちゃって、あまり気にならない。
そういう意味では緻密な部分は(ミステリーだから)多いんだけれど、豪快かつ爽快な作品。まさしくエンターテインメント。
名作っすね。
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2.
帰ってきたクーカイ
(2016-06-30 20:17:06)
好きな作家について その3
やっぱりレイモンド・チャンドラーでしょう。
最近、村上春樹さんが翻訳してくれていて、以前読んだ作品をもう一度楽しめる。一粒で二度美味しいというのは、まさにこのこと。
あえて清水さん訳の題名で書くけれども、やはり最も印象に残っているのは『長いお別れ』かな。
人によっては「女々しい」と言うかもしれないけれど、なんだか分かるなぁ。この感覚。いや、ここまで出来るような(したくなるような)友人はいませんがね。
マーロウの魅力は、自分が設定した基準を頑固なまでに曲げないところだ。そしてその基準は独りよがりで手前勝手なものでは全然ない。「どうしてそこまで出来る」と思わせてしまうような、自己犠牲を強いる基準。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」
強いからこそ優しくできるわけだが、優しいからこそ強くなれるのかもしれない。
村上春樹さん。次は『プレイバック』をお願いします。
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3.
帰ってきたクーカイ
(2016-07-08 19:07:43)
番外編 映画について その1
先日観に行った『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』。
結論から言っちまうが、この映画、ロックが好きなら絶対楽しめる。まだ観に行っていないなら、早めに映画館で観ておいたほうが良い。
まだ公開中だから、ストーリーの細部については語らない。
小説のジャンルにスラップスティックというのがあるのだが、それに近いかなぁ。ドタバタ喜劇が尋常じゃないスピード感で展開していく。しかし笑いだけじゃなくて、ホロっと泣かせるシーンもあるし、しみじみと青春時代を追想させてしまう、甘く切ないシーンもある。名画だと確信する。
この映画の前に観た映画は、『STAR WARS』のエピソード7だったのだが、これも(さすがに子供の頃にワクワクして観たエピソード4~6には敵わないけれど)とても良く出来ていた。だけど、観終って「もう一度映画館で(要するに、もう一度金払って)観たいな」とは思わなかった。いや、出来がそこそこだったのではなくて、ほとんどの映画は一度観れば満足してしまう。
だが、本作は「もう一度(じっくり)観たい」と思った。実のところ、近日中にまた映画館に行くかもしれない。
ドタバタは小説でも映画でも非常に難しくて、あり得ない設定やら展開やらを、上手く話しの流れの中で読み手・観客に説明しないといけない。また、一見滅茶苦茶な世界だったとしても、ルールがきちんと定められ、それが守られていないと読み手・観客は引いてしまう。そりゃあそうだよね。話の展開で“さっきはこうだったもの”(つまりルール)が、どんどん改変されていたら、それは単なるご都合主義でしかないから。
本作は、その辺がきちんとしており、随所に笑いのタネも仕込まれ、なんだか凄いメンツがギターを弾くシーンで出ており、まぁとにかく楽しい。
観終えて、尾野真千子という女優を改めて発見し、邪子役の清野菜名さんの素顔をブログで拝見し、ビックリしました。二人とも演技(清野さんはほぼ鬼メイクで)のキレっぷりは見事。素晴らしいキャラクター造形だ。
キレっぷりといえば、当然、長瀬さんのそれは天下一品。この人、良い役者だねぇ。神木隆之介君(設定上の年齢では、ほとんどうちのセガレと同じ)のビシビシ突っ込みというかリアクションが決まる、今時の高校生あるあるな演技も最高っす。
邦画って子供と一緒に観るアニメや仮面ライダー以外ほとんど観ないのだが、本作は名作。日本の映画も面白いね。今更ながら。
あ、サウンドトラックも良い曲そろっていました(名曲も含む)。
やっぱ、買っちゃおうかな。
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4.
帰ってきたクーカイ
(2016-07-09 19:34:41)
好きな作家について その4
トニー・ヒラーマン
随分前、ハヤカワで「ミステリアス・プレス」というシリーズというか出版枠を設定して、海外では定評があるものの日本ではこれから、という作家の作品を紹介していた。その中で、アーロン・エルキンスと共に嵌ってしまったのが、この人。
紹介されていたのは、ネイティヴ・アメリカン刑事もの。ジョー・リープホーンとジム・チーの二人が絡む作品が、とても良かった(それぞれが一人で活躍する話もあるのだが、キャラも職階も違う二人が出てくる方が、緊張感と話の展開の絶妙さが3割以上増す)。
トニー・ヒラーマン自身はナヴァホではないのだが、民族学の成果を良く勉強されているように感じた(とはいえ、私自身はネイティヴ・アメリカンの研究者ではないので、どの程度なものか正確にはわからないのだが)。
話を面白くしているのは、ジム・チー巡査がナヴァホの新米呪術師だということ。要するに本職は警察官なのだが、副業で呪術師の仕事もしているのだ。この点において本シリーズは、通り一遍のミステリとは大きく異なっている。
結局ハヤカワミステリの定番商品にはならなかったみたいだが、ミステリアス・プレスの中では結構な数が紹介されていた。
どれも面白かったな。
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5.
帰ってきたクーカイ
(2016-11-04 18:29:29)
『Lemmy/WHITE LINE FEVER』(『レミー・キルミスター自伝/ホワイト・ライン・フィーヴァー』)
実は亡くなる前に一度店頭で手に取った。
冒頭を読んで(おもしれえな。これ)と思ったのだが、価格がCD一枚分するので(う~ん。ちょっと高いな)とその時は購入を見送った。
だが忘れられなくて、しばらく後にやっぱり購入しようと最初に本を見つけた店に行ったら無かった。
他の本屋(結構大きめの)でも無い。
そうこうしているうちにレミーが亡くなってしまった。
それでも店頭では見当たらない。
(こりゃあ読めないで終わるかな・・・)と思いつつ、取り寄せて読もうとか、ネットで注文してまでという気にはならなかったのだが、先日最初にこの本を見つけた店に行ったら置いてあった。今回は買いました。
これがとっても面白い。
巻を置くのを能わずというのは正にこのことで、一息に読んでしまった。
私は正直「自伝」は苦手で(そもそも「伝記」が駄目かも)、これまで読み通したものが無いのだが(今、『マルコムX自伝』とジョー・ペリーの自伝・・・これは結構面白いので、そのうち続きを読むだろうが・・・が塩漬けになっている)、レミーの自伝である本書は、本当に面白かった。
これは執筆のフォローをしている(レミーが語ったことを文章に起こしているのか、書いたことを整えているのかはわからないが)ジャニス・ガーザが良い仕事をしていることもあるのだろうが、レミー本人の話がとてつもなく面白いというのは間違いない。ただ、何があってこう思ったというだけでなく、一段深く掘り下げてレミー自身の人間性が垣間見える話となっている。そこから見えるのは、何に対しても公平で(一例を挙げると、女性に対しても同性愛の人に対しても差別的ではない)、かつ正直で(これも一例を挙げると、ドラッグの使用に関しては誤魔化しのない記述に思える)、ユーモア精神に富んだ(本書の特長の一つ。色んな場面描写やそれについての見解がやたらと可笑しいのだ!)、とても頭の良い人物像(頭の良し悪しは学歴ではない事がわかる)である。
まぁ、レミーの人物像はさておいても、バンドの浮き沈みやら破天荒な武勇伝というのがそもそもとんでもなく面白い。本当に。
もう一つ特筆すべきは、本書を訳した田村亜紀さんの上手さだろう。
レミーが目の前で語っているような訳文は、正直舌を巻く出来栄えだ。凄いと思う。お名前からおそらく女性だと思われるのだが、訳しにくい所も多々あったろうに、逃げのない仕事ぶりも賞賛に値する。
というわけで、とっても面白い本です。見つけたらすぐ買ってください(別に出版社の回し者ではないけれど)。
2015年4月16日 初版第1刷発行
発行:ルーフトップ/ロフトブックス編集部
定価:2900円+税
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8.
帰ってきたクーカイ
(2017-01-12 23:09:38)
体調を崩して数日寝込んでいたのだけれど、発熱していると睡眠が簡単にとれないんですよね。熱が上がってくるときは悪寒がするし、身体の節々が痛いし。
仕方がないので数年前に入手して山積みになっていた本の中から数冊やっつけることにした。
家人は「あんた調子悪いのになんで寝てないのよ」と冷たい目だったが、寝られないんだって。ぐっすり寝ることが出来るのは健康の証しだと、改めて思いましたね。
①『ディアスポラ』 グレッグ・イーガン 2005年発行 早川書房
これは多分書いてあることの半分も理解できていないと思うのだけれど、その話の筋立てを追っかけているだけで面白かった。
私はハードSFの熱心なファンではないのだが、解説などを読んだ限りではどうもハードSFの極北と言っても良いくらい、ある意味で非常に難解な作品らしい。いや、「らしい」じゃなくて実際にとても難しかった。だけれども、展開がとてもスピーディーで(理解できない理屈の部分はチャチャっと読み飛ばしても全然問題ない)、次から次へと危難が襲ってきて、風呂敷が信じられないくらい広がっていく。とてつもなくスケールの大きい作品です。
ちょっととっつきにくいところ(こともあろうに序盤が一番難しい)があるけれども、いかにも「SFを読んだぁ!」という気にさせてくれる名作です。
②『果しなき流れの果に』 小松左京 2011年第7刷発行 角川春樹事務所 初出は『SFマガジン』昭和40年2~11月号
スケールの大きな作品といったらこれも読んでおかなければ、ということで日本SF界のゴッドファーザー(ちょっと違うか?でも日本を代表するSF作家であることは間違いない)の代表作もいきました。
これは・・・。大勢の人がオールタイムベストに押すのも当然ですわ。と納得の傑作。発表から半世紀経っていても全く古びていない。まさに不朽の名作。イーガンの風呂敷の広げ方には驚いたが、本作もガッツリ広がっている。時間軸は億単位、座標軸は光年単位です。しかもアクションもロマンも詰め込まれており巨匠の仕事に恐れ入るばかりです。
③『闇の左手』 アーシュラ・K・ル・グィン 2006年26刷発行 早川書房 原著は1969年発表
これも一見堅そう(やや難しそう)なので後回しにしていたのだけれど、読んじゃえ、ということで読みました。
作者は『ゲド戦記』を書いた人(ジブリの『ゲド戦記』を思い浮かべ、「あぁ、あれね」と思いジブリのそれしか知らない方がいたら、あれはシリーズタイトルと一部登場人物の名前を拝借した全く別の物語です)で、ファンタジー/SFの世界では大家ですね。
この本も多くの人が名作というだけのことがある作品です。
舞台となる世界の情景や登場人物の心の描写がとてもリアルで、ネタばらしはしませんがストーリーが泣けます。
久しぶりにSFを読みましたが、やっぱり良いもんですね。
熱も下がって、頭もすっきりクリアになりました。
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9.
帰ってきたクーカイ
(2017-01-13 21:35:58)
『闇の左手』その2
前項を書き終え読み直してみると、3番目の『闇の左手』がやけにあっさり味。それに書き残したことがムクムクと頭の中に沸いてきたため「その2」。
「リアル」というのは別の言い方をすると「自然」。世界や人物、人物の行動や心の動きなど全てが自然に感じられるのだ。要するに世界の設定や人物造形に無理が無い。SFなわけだから実在しない世界や人物が(わんさかと)登場してくるのだが、読んでいると本当に息をしている人々の話を読んでいるような、窓から外を覗いたらその景色が見えるような気分になってくる。
その行動の描写も肉体感覚がすんなり伝わってくるもので、疲れや痛みが切実なものとして感じられる。
また一人称なので心の動きは当人からの説明があるため、三人称で書かれるよりはわかりやすい。しかし、独白なので全てがきれいに説明されるわけではなく、人物が心中で語るその言葉は語っている本人も気づいていない悲しみや恐れなどが存在することを感じさせるのだ。いや本当にリアル。
SFは作者が設定を自由にできる可変域に限度がない。要するに吹こうと思えばどんな大法螺でも吹ける。しかし大法螺もリアルな大法螺だと楽しめるのだ。逆に見え透いた嘘は退屈。リアルさにかける大法螺はつまらないのだ。
そのような意味で『闇の左手は』とてもリアルな大法螺だ。
そして『闇の左手』というタイトルの意味は終幕に近いページでさりげなく知らされる。
読み始めた時には「どうしてこのような陰鬱なタイトルを・・・」と思っていたのだが、その意味するところがクルンと反転して全く別の意味を帯びた時の、なんだか小さな驚きというか感心というか・・・。
こういう細部にわたって精緻に丁寧に作り込まれた仕事を見ると、本当に感心・感動する。
ル・グィンは村上春樹やチャンドラーのように見事な比喩やスマートなセリフを使うわけではないのだが、その話は「絵」になる。読み終えた後、印象的なシーンが綺麗な絵になって浮かんでくる。登場人物の会話で心に残るものがある。
まったく見事だ。
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10.
帰ってきたクーカイ
(2017-04-22 19:37:48)
井上 靖 『天平の甍』
8世紀に唐から高僧鑑真を招いた史実に題材をとった歴史小説。
主人公は鑑真ではなく、日本から唐に渡った留学僧の普照。
普照は生没年不詳で奈良時代の興福寺の僧。
栄叡とともに伝戒師を日本に請来することを目的に入唐し、入唐10年目に鑑真を訪れ、日本への渡航を栄叡とともに懇請し、承諾を得る。754(天平勝宝六年)に何度かの試みで運良く鑑真とともに帰国した。
と頼富本宏氏の『日中を結んだ仏教僧』(2009年 (社)農山漁村文化協会 30ページ)にみえる。
『天平の甍』は普照の他、栄叡・玄朗の留学僧の他、戒融という筑紫の僧(普照らと共に渡航する)や、業行(小説中では在唐20年の間にひたすら写経をし、それを日本に持ち帰ろうとする。史実では普照・栄叡・玄朗らと共に唐へ渡っているようだ)らが登場する。物語は鑑真の来朝を基軸に留学僧らの運命を絡め、淡々と語られる。
ただ、この淡々とした語り口が、逆に鑑真たちの実に5回にも及ぶ渡航の失敗〔その都度、思ってもいない所に流される。最も遠かったのは天宝7(748)年に流された振州(現在のハイナン島南岸)〕という想像を超える困難を鮮明に描き出している。
また、人物の会話の描写は必要最低限だ。そのためやはり、その語った言葉が印象深く残る。
個人的に最も感動を覚えたのは、ようやく成功する6回目の渡航に際し、普照が3年ぶりに鑑真に再会して、共に発航地に向かう大江を下る船の上での会話である。
「照よ、よく眠れたか」
鑒真は言った。
「ただいま眼を覚ましました。お判りになりましたか」
普照が驚いて言うと、
「盲いているので判るはずはない。先刻から何回か無駄に声をかけていたのだ」
そう言って鑒真は笑った。普照は笑わなかった。早暁の冷たい江上の風に顔を向けたまま、普照は涙を頬に伝わせるに任せた。一声の嗚咽ももらさなかったが、
「照は泣いているのか」
と、鑒真は訊いた。
「泣いてはおりませぬ」
普照は答えた。・・・
という場面だ。五度にもわたる渡航の失敗の末に失明した師が、弟子を思いやっているのだ。
実際の鑑真その人がどのような言葉を発した人であったかは、もちろんわかるはずもないのだが、信念の人であることは疑いない。そして本作で描かれる鑑真は、まさしく実際の鑑真はこのような人であったのではないか、と思わせる人物造形である。
留学僧それぞれの運命についても、なかなかに考えさせられる。かれらはその歴史という大伽藍の中で、一人一人が甍の一部となる小さな瓦のようなものだ。現在を生きる私たちも同様であろう。それぞれに雨水に濡らしてはいけない何かを守るための瓦なのだ。
せめて守ったものが私自身にとってそれなりに意味のあるものであったと、瓦の運命を全うした時に思いたいものである。
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11.
帰ってきたクーカイ
(2017-05-20 18:50:10)
『最後の物たちの国で』 ポール・オースター
『極北』 マーセル・セロー
基本的に読書って、仕事が絡んでいない時には純粋に楽しみだけを求めて行う行為だ。私にとっては。
だから、つまらないものは読まない。読んでいて退屈するものは時間が無駄だ。
それで上記の二作品は、読んでいてつらかった。
退屈な内容ではないのだが、読んでいてつらい。途中、1・2度読むのを中断して少し置いておく必要があった。
大抵、面白い本は一息に読んでしまう。作品が提供してくれるドライヴ感に乗ってどんどん読み進めていき、夢中でページをめくる。気づくと結構なページ数を読み進めていたことに気づく、というのは読書の醍醐味だ。
上記の2作は面白いんだが、つらすぎる。「次、どうなっていくんだろう」と思うのだが、その「次」がもっとつらい展開であったら・・・と思うと、なかなか乗れない、という感じだった。
より強烈なドライヴ感を味わえるという意味では、マーセル・セローの『極北』は見事だ。展開が本当に読めない。読後感にあるのは、絶望だけでなく、淡い希望もある。ずっしりと重い小説を読んだという満足が感じられ、何か腕組みをして考えさせられてしまうものも、しっかりと含まれている。優れた小説というものは、作り物の枠を超えて、現実の世界全体を俯瞰する(もしくは最も深い海の底から、海面を眺めるようにゆらめく世界を眺める)ような視点を提供してくれる。考えたところでどうなるものでもないかもしれないが、物事をみる見方(視点)を変えるきっかけを提供してくれるというのは、貴重だ。
ドライヴ感はセローの作品ほどではなく、淡々と進んでいくのだが、やはり強烈な読後感を残すという意味では、オースターの作品も凄絶なものがある。主人公がつらい思いをするのが可哀想になってくるのだが、やはり最後はかすかな希望が(本当にほんのかすかなのだが)感じられる。
この二作品に共通するのは、主人公が女性である点と舞台となる世界が破滅的な状況に陥っている点の二点だ。
そして我々の現実世界も、一歩、四つ辻を誤った方向に踏み込むと小説と同様の世界となってしまう可能性がある。
つらいのだが、読んでおく価値があった。
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12.
帰ってきたクーカイ
(2018-03-21 18:13:42)
随分昔に購入した東京創元社のチャンドラー短編全集2『事件屋稼業』(原題:Trouble Is My Business And Other Stories 「事件屋稼業」ってなんか時代を感じさせますね。原題の格好良さを現代の言い回しで日本語訳するのは結構難しいな)。
それに収録されている「黄色いキング」。ここにきて初めてまともに読んだ(本を購入してから実に約30年後)。
結構面白かったな。
チャンドラーといえば主人公はフィリップ・マーロウ。そして一人称だが、「黄色いキング」は3人称で書かれ主人公はスティーヴ・グレイス。何が面白かったのかというと、話にJazzが絡んでくるからだ。
へー。チャンドラーもJazzが好きだったのかなぁ。こういう話も書いていたんだ。と、何か新しい発見をしたような気分。
殺人犯は途中から「多分こいつだな」とわかってしまうのが、パルプ小説掲載の中短編小説における限界性を感じるところなのだが、中短編小説であるがゆえのスピード感というのがある。底は浅いが、バシャバシャ泳いで遊ぶには十分な流れるプールみたいな、ある種キッパリとした潔さというか。はたまた諦観というか、日銭を稼ぐにゃしゃーねーだろというか。そういうヤサグレ感が味ですね。
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13.
帰ってきたクーカイ
(2018-10-07 20:52:04)
『What Does This Button Do? -An Autobiography』(『ブルース・ディッキンソン自伝』)
原題は直訳すると「このボタンを押すとどうなるんだ?」
これは著者の人生に対する基本的姿勢でもある。
言わずもがな、ブルース・ディッキンソン氏はIron Maidenのヴォーカリストだ。そのディッキンソン氏が自伝を書いたのだが、これがとても面白い。Motorheadのレミーの自伝も最高に面白かったが、それと同じくらい。二人ともぶっ飛んだエピソードに事欠かないのと、やはり語り口(ブルースの場合は文章)が上手い。二人ともユーモア感覚に秀でており、比喩や物事の捉え方に一捻り効いている。
あんまりメイデンの作品のことに踏み込んでいない。さらりと流しているのだが、それは基本的にはこの自伝全般について言える。各エピソードそれぞれさらさらっと書かれており、読む方もつらつらっと読めてしまうのだが、それは中身が軽いことを意味していない。あまり自分の(当時の)感情をくどくどと書かないのがこの自伝のスタイルなのだ。このあたりはジョー・ペリーの自伝と異なる〔読み終えてやはり(別の意味で)とても面白かったのだが、ジョーの自伝の基調にあるのは、スティーブン・タイラーがまるで恋人のように思えるような、愛憎半ば入り混じった感じのものだった〕。
読んでいて“なるほど・・・”と納得したことがいくつかあった。
例えば『B誌』に掲載されていた記事で、“ブルースがフェンシングに熱中し『Somewhere In Time』の制作には積極的に関わっていない”というのがあったのだが、その実情が本人の口から語られている。
また、Iron Maidenを脱退した理由とか(逆に戻った理由も)。
この本はあくまでブルース・ディッキンソンの自伝なので、Iron Maiden史としては読まない方が良い。正直なところ、この本を読んでいて最も印象に残った箇所は、289~292頁(「飛ぶことに取り憑かれた変人」の終盤)に書かれている、セスナ機を操縦していて危うく墜落しそうになったところと、(ドキュメンタリー映画にもなった)サラエヴォでライヴをするところ(「-予想を超えたその結果」297~316頁)だ。どちらもメイデンとは関係ないが、明らかにこの自伝のクライマックスの一つだ(そして言うまでもなく筆が冴えわたっており、無駄な描写が一つもなく淡々と記されているにも関わらず・・・手に汗を握ってしまう)。
そして最後に書いておきたいのは、読んだ後勇気をもらえるということだ。
説教くさいメッセージや、“成功の秘訣”みたいなものはないのだ。要するに、「このボタンを押すとどうなるんだ?」ということなのである。言い換えると「この分かれ道を右(左)の方に行けばどこに向かうんだ?」だし「このドアを開けたら何があるんだ?」なのだ。人間、生きているうちにやりたいこと・やれることはやっておかなきゃな、という気になりましたね。
一ミュージシャンの自伝を超えた名著です。
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