解説 1989年に結成されたスウェーデン、ヨーテボリ・ブーヒュース県出身のブラックメタルバンド。 1990年代前半のブラックメタルバンドの中でも特にメロディアスな音楽性を持ち、オーセンティックなヘヴィーメタルのツインリードによる流麗なリフやメロディを初めて大胆に導入し、メロディックブラックメタルのスタイルを確立した先駆者として知られる。このジャンルの直系には、Naglfarなどがおり、ブラックメタルのシーンだけでなく、初期In FlamesやChildren of Bodomといったメロディックデスメタルバンドや、The Black Dahlia Murderなどのメタルコアバンドなどにも多大な影響を与えている。
1989年、Jon Nödtveidt(Vo, G)とPeter Palmdahl(B)の2名で結成される。1990年にOle Öhman(Ds)が加入し、1stデモを発表。1991年にJohn Zwetsloot(G)が加入し、初期ラインナップが固まる。 1993年にストックホルムのノー・ファッション・レコードと契約し、1stアルバム「The Somberlain」を発表。このアルバムは同年に刺殺され死去したMayhemのEuronymousに捧げられたものでもある。 1994年にドイツのニュークリア・ブラストに移籍。John Zwetslootが脱退。代わってJohan Norman (G)が加入。1995年に2nd「Storm Of The Light's Bane」を発表。更にリリース後、Ole Öhmanが脱退しTobias Kellgren (Ds)が加入。また、この頃にJon Nödtveidtが新興悪魔崇拝団体であるMisanthropic Luciferian OrderにJohan Normanと共に加入している。 1996年に1stEP「Where Dead Angels Lie」を発表。 1997年にJohan Normanが失踪する形で脱退。これはMisanthropic Luciferian Orderの考え方についていけなくなったことと、Jonからの報復を恐れたためであった。デモ音源やサイドプロジェクトSatanizedの音源などをまとめた企画盤「The Past Is Alive (The Early Mischief)」をネクロポリス・レコードから発表。しかし、同年末にJon Nödtveidtが殺人幇助により逮捕、活動を休止する。Jonは後に懲役8年の有罪判決を受けた。活動休止中の2003年、1997年~98年のFrozen in Wackenでの録音を正式に音源化したライブアルバム「Live Legacy」発表。ただし、Night's Bloodは演奏自体はされたもののマイクトラブルによって削除されており、オフィシャルのCDには収録されていない。 2004年にジョンの釈放とともに活動を再開。再開時のメンバーは、Jon Nödtveidtに加えて、元NightrageのBrice Leclercq(B)、Set Teitan(G)、元Dark FuneralのTomas Asklund (Ds)。エスキャピ・ミュージックからシングル「Maha Kali」を発表。この音源は獄中で録音されたもので、フルレンス収録のものとはアレンジがかなり異なる。カップリング曲は2nd収録曲Unhallowedのセルフカヴァーであった。 2005年にBrice Leclercqが脱退。Haakon Nikolas(B)が加入するが同年中に脱退。以降、正式ベーシストが加入することなく、WatainのErik Danielssonをライブ時のセッション・ベーシストとして活動を継続する。 2006年、ジ・エンド・レコードからシングル「Starless Aeon」発表。さらにブラック・ホライズン・ミュージックから約11年ぶりの3rdフルアルバム「Rainkaos」、ライブDVD「Rebirth of Dissection」発表と順調な活動をみせる。しかし「Dissectionは最終章を迎えた」として解散を発表。そして、8月13日にJon Nödtveidtが拳銃自殺。31歳であった。父親とガールフレンドに宛てた手紙に「トランシルヴァニアへ旅立つ」という旨の記述があった。かつてJonは「サタニストは人生のピークを迎え、全てを成し遂げ、地球の存在を超越しようとした時に、生と死についてを笑って決める。悲しんで人生を終えることは全くもってサタニックではない。サタニストは強く死ぬ。年齢でも病気でも抑鬱でもなく。不名誉よりも死を選ぶのさ!死は人生のオーガズムだ!だからできる限り緊張感を持って生きろ!」との言葉を残していた。彼が突然ともいえる自殺を遂げたのは、こうした思想上の理由によるものであると思われている。