吉井本人が最高傑作と自負する作品であり、「『SICKS』は他のバンドにはない音であり、他の邦楽にもない音である」と語る。また、他メンバーが作曲をした『TVのシンガー』『創生児』『HOTEL宇宙船』を絶賛しており、『どの曲もSICKSの匂いがする曲』と評価している。メンバー選曲のベスト盤『THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST』にも本作から最多の7曲が収録されており、他メンバー作曲の3曲もすべて収録された。日本コロムビアのディレクターである宗清裕之は、「『SICKS』がなかったらただのポップなバンドとして消費されてたかもしれない。あの時期があったからこそ、THE YELLOW MONKEYは長く愛されるバンドになったんだと思う」と語っている。また、「当初はダークな雰囲気、不健康な感じも含めて『今まで押さえつけられてたけど、俺たちの魅力はここなんだ』っていうか。しっぺ返しを食らった感じあった」とし、「このアルバムは売れないと思っていたが、実際に売れて驚いた」という旨を語っている。THE YELLOW MONKEYのカメラマンを務めた高橋栄樹は、「初期のダークな感じがスケールアップして戻ってきた、っていうイメージだったというか。本来はこういう人たちなんだなと思う」と語っている。 本作がリリースされる約1か月半前に、自身初の非公認ベストアルバム『TRIAD YEARS act I』がリリースされることが決定し、吉井は「ベストに負けないアルバムを作ろうという話を毎晩メンバーとしていた」と語っている。『SICKS』の売り上げはオリジナルアルバムでは自己最多を記録したものの、惜しくもミリオンには届かなかった。吉井は『JAM』『SPARK』などのヒット曲を含むベストアルバムがミリオンを達成したことを踏まえ、「ヒット曲が1曲しか入っていないアルバムは100万人買わないんだなということもよくわかった。『この次覚えてろよ』という気持ち」と語っている。ほか、後年のインタビューでは「『SICKS』の実際のセールスは妥当だったと思う。100万枚を目指していたが、近いところまで行ったし、凄い納得した1年だった」と振り返っている。同じくギターの菊地は「望んでいた枚数より下回ったが、大衆向けではないアルバムがこれだけ売れたことは自信になった」と語っている。